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感情と納得の沸点:Anizine

先日、友人と「我々は感情や納得の沸点が低くなっていないか」という話になった。感情と納得は別のものだから、ふたつに分ける。

感情は体験の蓄積によって変化する。極端な経験を持つ人はちいさなことで驚かないし、感情が動かない。ある中東の内戦地から日本に逃れて来た難民家族が、打ち上げ花火が怖くて見られなかったと聞いたことがある。それは花火の爆発が持つ意味のスライドだ。

これは彼らが、我々が頭で理解している「打ち上げ花火の風情」とは違って、爆弾が炸裂するのを見た体験があるからだろう。反対に割と安全な場所から内戦を見た日本人が「花火のように美しい」と思うこともあり得る。

このように自分の感情に関わる発言はその人の「体験の範囲」を表すことがある。ネットなどで話題になる(バズると言うんだろう)いい話を紹介した記事には「感動しました」「泣きました」とコメントが並ぶ。もちろんいい話に感動してもいいんだけど、その構造が明らかにテンプレートっぽかったり感情の誘導のみが目立ったりすると、気持ちがさめてしまう。

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納得の方はもっと簡単で、自分が無知である故に、まだそれを知らない人を下に見る構図だ。今「火力でタービンを回すと発電ができる」と偉そうに話す人はいないだろうけど、発電の専門家からしたら、それと同じことを「納得癖」のある人はやっている。

昨日知ったような用語や概念をうれしそうに使うのをやめた方がいいとは思わないんだけど、権限がある人がそれに騙されて、その手の「概念納得癖」の人々に市民権を与えて欲しくないな、とは感じる。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。