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友人からのLINE:Anizine(無料記事)

友人からLINEが来た。「あにさん」と一言だけ。

それを見て嫌な予感がした。彼はどうでもいいメッセージを頻繁に送ってくる人ではないのを知っているので、画面を見つめて次の言葉を緊張しながら待つ。やはりよくない知らせだった。

しかしそれに続いて、「悪いことがあったが後悔しないで済んだ」と書かれている。俺が以前、彼からあることを相談されたときにしたアドバイスについて感謝している、という。俺はその時には真剣に考えて助言をしたつもりだが、すっかりそのことを忘れていた。

自分が考える「正しさ」なんて根拠のないものだけど、こうした方が自分なら後悔が少ない、という行動原理はずっと変わらない。

「どんな関係であっても、修復したいのなら自分が折れること」

これだけだ。漫才師の「おぼん・こぼん」さんが仲違いをしているという番組があったけど、歳をとればとるほど謝罪や譲歩をしてみせることは大変になっていく。そのとき、どちらかが譲歩する、譲歩を受け入れる、という面倒さえ乗り越えられれば、あっけなく元通りになることもあるのだ。

最初から嫌いだった人なら仕方がないが、元々愛情で繋がっていた人となら互いの信頼を回復できる可能性は高い。残っていたロープに新しいロープで補強して修復するのか、ナイフで切ってしまうのか。その選択は自分にある。そこで頑なな自尊心を持ち出すと、一瞬は気持ちがいいだろうが永遠に後悔することもある。

当時、彼の話を聞いたときにもそう思った。それは論理的な自分の正しさを証明しているだけで、ふたりの関係修復へ向かう道とは逆の振る舞いなんじゃないかと思ったのを憶えている。もちろん彼は優しい人なので相手に独力で立ち直って欲しいと思っていたことも理解できる。でも、誰かを助けるというのに理屈はいらない。

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道ばたでホームレスが寒さに凍えているとき、政府の福祉政策の不備を演説しても何にもならない。何も言わずに自販機の缶スープでも手渡した方がよっぽどいい。たったそれだけのことをしたか、しないかを一生抱えて生きていく。後から、「スープをあげておけばよかった」と思っても遅い。

彼のLINEを読んでいて、涙が止まらなくなる。聖人でもない限り、みんな何かに失敗した経験や、人に冷たくした経験や、後悔を持っている。そういうちいさな悔いを感じたらそれを反省するんじゃなくて次に生かせばいい。世の中全体が正しいことをしていない人への糾弾だらけの強者の論理にシフトしていってるけど、誰でも間違いは起こす。そのとき隣にいる人は説教なんかしなくていい。その人に「寄り添う」なんて気持ちの悪い偽善の言葉を使わなくていい。

優しい人は、自分の財布の中から小銭が減っても、誰かのために何かをするものだ。「物乞いにお金を渡す人は所得が低い層に多い」という調査結果をどこかで見たことがある。自分に痛みがある人には、他人の痛みがわかる。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。