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創造と消費:Anizine

今日は久しぶりの人と話した。普段ほとんど電話という手段を使わないので新鮮だったけど、元気そうな声を聞けたのはよかった。

彼がソーシャルメディアから消えたのはしばらく前で、話を聞いてみると薄々感じていたことと近かった。繊細な人が多くの雑音に晒されると精神的に疲れるというのは想像に難くない。FacebookやTwitterに書かれることはどんなに正当性の衣をまとっていても、結局は「自己主張」であり「自己顕示欲」であり、「宣伝」だ。それを脱している人は本当に一握りで、自分がそうなっていないかはまったく自信がないけど、気にはしている。

まず第一に、自分がレブロン・ジェームズでない限りはいくらバスケットボールが巧くてもそれ以下に決まっている、ということ。これを認識しておくべき。それを言ったら何も言えなくなっちゃうよ、という人はいると思う。でも言ったらダメなのだ。自分が誰かに褒められたとか、そういう投稿をする前に、これは自分が誰かに褒められたことを言いたいんだな、と立ち止まることが必要で、それがわかっているのならばあえてそう書いてもいい。

でも、「この人は、人から褒められたって言いたいんだろうね」と書いている人が似たようなことばかり書いていることも少なくない。つまり自分のことはわからないってことだ。そうならないように気をつけていると、ほとんどの人は自分がしていることや考えていることなんて大谷翔平に比べたら草野球だよね、と自覚してしまって何も書けなくなる。それが正しい反応なんだけど、でもそれをしてしまう人というのは、自分の下(だと思っている)の人々に対して小さな優位を確認したくなる。居酒屋で野党がダメだとか言っている人のように。

自分は世界一だと思いたいけどそうではないから、日本一だと主張し、関東で一番とか、自分が一番でいられるエリアを狭くする。それは他人からは丸見えなのに、自分だけがわからない。

さて、みんなが知っている人の話をしよう。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。