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次のツルッパゲ:Anizine(無料記事)

編集の吉満さんから、「ロバートの続編を出しましょう」と言われた。俺は謙虚村の出身なので、すべてのことを疑ってかかる。それは社交辞令ではないのか、お世辞ではないのか、ナメられているのではないか、イジられているのではないかと、このときだけはスーパーコンピュータ並みの速度で計算をする。しかし、吉満さんも遊びで出版をやっているわけではない。編集者が「本を出しましょう」という話を冗談で言うことだけはあり得ないのだ。

「わかりました。書きましょう」と答えると、それは『ロバート・ツルッパゲとの対話』が出版された直後にオファーしていたつもりだと言われた。謙虚村出身者特有の、石橋が叩かれたことに気づかないタイプの失敗だった。

というわけで続編を書き始めているんだけど、前回、こういう感じで書けばいいんだなという肉体的な手応えは理解した。毎日アホみたいな量の文章を書き殴っているんだからそれをまとめたら本の分量になるだろう、と思ってもそうはいかない。音楽にイントロやサビがあるように、一冊の本には全体を流れるグルーヴというのが欠かせない。YouTubeの動画を二時間分つないでも「映画」にはならないのと同じだ。

ただし、ロバートがグルーヴを持っていたかというとまったくそうではなく、むしろガチャガチャである。あの本でやりたかったことはガチャガチャしたまま本の体裁にすることだったのでそれは次はやらない。傲慢村にも籍がある俺としては「本気を出せばこれくらい完成度の高いモノも書けるんだぜ」とアピールしたいのである。

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俺が発見したのではないんだけど「慣性の法則」というのがある。動かないモノはずっと動かず、動き出したモノは動き続ける、というあれだ。まず動き始めるまでの時間と思い切りが必要で、つい数日前にそれが動き出した。何年後であろうとも読んだ人に役立つこと。それは本の名前にも大きく関わってくるんだけど、どんな言葉で言い表せるのか。子供に名前をつけるような仕事だ。あるとき乗ったタクシードライバーのネームプレートに「卓志」という名前を見たときのあの感激のように。いやこれは違うな。

何を書きたいのか。どんなテキストを印刷して、綴じて、書店に置きたいのか。ここが動き始めればもう書けたも同然だ。思いついたことの断片はつねにメモしてある。その中には重複した内容のモノもあるんだけど、何度も書くということは自分の中で大事だと思っていることだから残す。

今日、子供の教育問題について話していた。動物は学習せずに本能で動く。クモは巣を張れるし、カメレオンはベロをビヨーンと伸ばして虫を捕まえられる。人間だけが生まれた瞬間には何もできず、文字を習い、規則を学び、社会の仕組みや先人の知恵を知らないと生きて行かれない。だから学ぶことが一番大事なのだ。その「学び方を学ぶこと」について書こうと思う。就職の面接ではこういう風に答えるといい、なんて話ではない。

それはギアをバックに入れると後ろに進むことができる、という程度のことで、誰でも自動車教習所に行けばできる。そうではなくて、いかに晴れた日にオープンカーで海沿いの街を走るのが気持ちいいか、という世界の理解の仕方だ。

たとえば、乱暴な喩えだけど世界には1000の要素があるとする。それを全部学ぶことは到底できないんだけど、中間点のいくつかのポイントにピンを刺すことはできる。その間隔を狭くしていくことで推論が生まれる土台ができて、体験していないことも大枠の理解はできるようになる。このピンが少ないと、知識が不足しているだけでなく世界を誤った方法で理解することになってしまう。これが怖いのだ。

「俺の地元の先輩が言ってたけど、あれはユダヤの陰謀らしいよ」などと言う。その先輩はユダヤの何を知っているのだろうか。さらにその人の根拠は先輩の又聞きでしかない。学ぶことは腹筋運動のように、回数を増やすことでしか結果が得られない。1000のピンを立てることはできないが、日々それを怠らない。

まあ、そんなことをエレガントに書こうと思っています。「Anizine」でも進行状況をアップしていくので、しばしお待ちを。


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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。