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写真を撮る人へ。

知人の子どもにカメラを貸した。まだ小さいから大きなカメラが重たそうだ。その子の親は、俺の商売道具であるカメラを壊すんじゃないかと心配そうだけど、カメラなんてただの機械だからどうでもいい。

そんなことよりも、カメラを手にしたことでその子がキラキラした目をしてコーヒーカップや観葉植物や犬の置物を、いつもと違う目で見つめる姿を見るのがうれしい。ピンボケや変な構図の写真を笑いながら見るのが楽しい。

写真は自分が撮りたいものを撮ればいい。誰の言うことも聞かなくていい。機械の操作がわからなければ教えてもらえばいいけど、「何をどう撮るか」には絶対に耳を貸してはいけない。

相手がどんなに有名な写真家であろうと、あなたが撮りたいと思った写真を変えようとしたり、悪く言ったりする権利はない。自分が撮りたい写真は自分で決めていい。5歳の子どもが撮る写真であっても同じだ。

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誰かが何気なくインスタに上げている写真にハッとすることがある。技術ではなく、その人が何に驚いて撮りたくなったのかがちゃんと伝わってくる写真。「すごくいい写真だね」と素直に言うと、「プロに言われて光栄です」と返ってきたりするんだけど、そうじゃないんだ。俺はその人が撮ったモノを決して撮ることができない。優劣ではなく、違いとして。

だから誰かが撮った写真が自分より優れている、劣っていると思ったことはない。悔しいと思うことはある。こんな写真が撮れるなんてスゴいなあと感じることはしょっちゅうある。相手がプロだろうと子どもだろうと。

自分のやっていることの理想は自分にしかわからないから、なんの躊躇もなくやりたいようにやればいい。誰かの言う通りにやってしまうと、自分である意味がなくなる。

ひとつだけ嫌いなのは、「こういう写真を撮ればウケるでしょうか」と聞かれること。そういう損得で動く人は多分、写真を好きで撮り続けることができないだろうから批判せずに、違った意味で「好きにやったらいいんじゃないでしょうか」と答えることにしている。

嫌いなモノにカメラを向けることはない。写真を撮る人が持っていなければいけない才能は、「世界を肯定し、驚き、愛する能力」だと思っている。できるだけ多くの美しいモノを見つけ、自分の基準でそれを愛する。写真を残したいって、そういうことだもんね。ペットを飼ったとか、子どもが生まれたとか、そういうときにはたくさん撮るでしょ。

カメラは愛すべきものを、自分の方法で愛するための道具なんです。

こういうことばかり書いている「写真の部屋」。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。

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写真家・アートディレクター。着ぐるみの中は繊細です。1964年生まれ。「ロバート・ツルッパゲとの対話」 https://www.amazon.co.jp/dp/4908586071/