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ノリ兄ちゃんの店:Anizine

いつも通る道に、イタリア料理の店ができていた。小さいが洒落た雰囲気だ。

開店から数日経った昼、その店に行ってみることにした。パスタがメインの店らしく、あまり凝った料理はなかった。僕はどの店でも一度は食べてみるカルボナーラを頼んだ。シンプルだからこそ料理人のレベルがわかる。美味しかった。やや太い麺も面白い。これからたまに来てみよう。

そう思った瞬間、隣の席にいた客が「あ」と声を出した。数人の客がそちらを見る。その男性客はじっと皿を見つめていたかと思うと、ほとんど手を付けないまま会計をして帰って行った。何があったんだろう。

厨房に兄がいて、サービスは弟とアルバイトの若い女性がやっているようだった。弟は不思議そうにパスタの皿を厨房にさげた。僕の席からは厨房の中がよく見える。

「ノリ兄ちゃん、このパスタを味見して」

「タクヤ、どうした」

「さっきのお客さんが全部残した」

そんなやりとりが聞こえたので、彼らが兄弟だとわかった。

「うん。特に変わったことはないけどな」

それから数分後に若いカップルが入ってきた。ボンゴレとペペロンチーノを頼んだのだが、驚くべきことに男性の方が「あ」と言ったかと思うと憤然とした顔で彼女の手を引いてお金を置くと、店を出て行った。レジを担当した若い女性は呆然としている。僕と、さっきからいるマダムたち4人もただならぬ気配を感じていた。

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別に味がおかしいとは思わなかったが、僕らが今食べたものは大丈夫だったんだろうか。マダムたちがひそひそと厨房を見ながら話している。

割り切れない思いで帰ろうとすると、今度はイタリア人らしき男性が入ってきた。僕はこのイタリア人がどう反応するかが見たくて座り直した。マダムたちも同じだったようで、手に持ったコートをまた膝の上に戻している。イタリア人はジェノベーゼを注文した。

厨房では泣き顔に近い表情のノリ兄ちゃんがジェノベーゼを作っている。傍らで弟のタクヤが見守っている。間違いはないはずだ。これで大丈夫だ。ふたりは時々目を合わせながら、声には出さないがそんなやりとりをしているように見えた。

タクヤがおそるおそるテーブルにジェノベーゼを運ぶ。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。