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デザイナーだけど、デザインしない。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』という本を書く、と宣言してから出版までに3年くらいかかった。なぜかと言えば、俺がオランダ人のようにサボっていて書かなかったからだ。書いていたらもっと早く出ていた。

http://amazon.co.jp/dp/4908586071

数年前に、マーティーのポートレートを使って表紙のダミーを作ってみた。そういう遊びが好きだからだ。そして素人裸足のカバーデザインが完成した。

ただ、俺は優秀なデザイナーに本文のデザインを任せると言ったのに、表紙だけ自分で作ったモノでいいのだろうか。「鰻重を奢る、と言ったのに、鰻の部分を俺が食べてしまったような振る舞い」ではないだろうか。俺が頼まれたデザイナーの立場ならカチンと来るんじゃないか、とキグした。しかし「それでもいいよ」と了承してもらったので、表紙はあのままで行くことになった。ありがとうございます。

自分はデザインをやっているけど、写真を頼まれたときに、その扱いについては全面的にアートディレクターに任せている。ひとつの仕事にアートディレクターは二人いらないし、写真家として呼ばれた俺が口を出す必要はないからだ。

今回は「文章を書く人」として原稿を渡したので、本文はどう組んでもらおうと構わなかった。一部、「お笑いのシステム」とデザインが一致しない部分があったので、そこだけは意図している内容を伝えて、見せ方を修正してもらった。

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途中で編集の吉満さんが、「写真を数枚、入れませんか」と言う。元々そんなことは考えていなかったので慌てて撮影をしたり、写真を選んだりした。これもただ渡しただけだったが、校正を見ると絶妙な場所に絶妙な写真がちりばめられていた。完璧な設計図を渡して進めるのもひとつの方法だけど、俺は「ああ、こうなったのか」と最初の読者として驚けたのが、とてもうれしかった。

本が発売されたら、アマゾンのレビューで悪口を書くことに人生を賭けている野郎どもから、罵詈雑言を浴びることになるだろう。それもまたよし。だって俺は「自分の本を出す」という幸福を授かったんだから、その意味を知らない人にいくら何を言われようと、何のダメージもない。

でも、できるだけ悪口は書かないで欲しい。打たれ弱いのだ。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。