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ホラーと涙:Anizine

俺はホラー映画をまったく観ない。なぜなら夜中にオシッコに行けなくなっちゃうからである。

怖さという感覚にはいくつかの種類がある。

油断していたところにドルビーサラウンドで大きな音を出すなんていうのは一番芸がない。そんなのは誰でも驚く。そうだ。怖いんじゃなくて驚いているだけ。たちが悪いのになると、暗闇のキッチンに行くと大音量でキッチンタイマーが鳴ったりする。映画の主人公はホッとするんだけど、こっちは映画館でオシッコがレモそうになる。これはもう「ホラーの様式のパロディ」であり、作る態度が真面目じゃない。

ここで感じるのは、映画の制作者がどうやって客を怖がらせるか、という勝負の品質や斬新さについて、だ。言われすぎていることだけど『JAWS』は最後まで恐ろしいモノの姿を見せないという精神的な恐怖を描いた。あれは発明だったが『グエムル』では物語の序盤からあっけなく怪物が登場するという新しいパラダイムを提示してみせた。これもまた見事な発明だった。

観客は自分が思っていない展開に怖がるわけだし、山小屋にうすらヤンキーみたいなのが集まっていれば誰かが殺されるのはわかりきっている。創作物には新鮮な裏切りが不可欠だ。

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AmazonやNetflixで毎日映画を観ていて、もうあまり観る映画が残っていない。こうなったら手つかずのホラーでも観てみるかと思うんだけどやはり観ない。圧倒的に作りが雑なのだ。よくできているなと思うのはどちらかと言えばサイコサスペンスのような映画で、ホラーを軽々としのぐ恐怖を感じることがある。『ミザリー』『セブン』などの恐ろしさは幽霊とかスプラッターとは比較にならない。

上質な怖さとは「自分はこんなことを怖いと感じるのか」と発見させてくれることだと思っている。ヒッチコック以前、鳥は怖いものではなかったし。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。