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仮想現実を仮想通貨で買う。

俺たちより年上のおじさんたちは「共同幻想」という言葉を使いたがる。当時の画期的な考えでもあり、流行り言葉のようなものでもあった。

ネットが浸透し始めて、ヴァーチャル世界がすべてにおいて第一のテーマになってきたとき、忘れられかけた共同幻想というフレーズが土台になっていることに気づく。

「そこには何もないが、皆があると思っている」

皮肉っぽく言えば「価値の捏造」で、価値構造の破壊でもある。脱構築、再構築という、のちにやってくるテーマもそれを補強する。リストラクチャリング・再構築は、リストラと省略され「クビ」を意味するようになったけど、本来は「我が社はリストラを敢行し、社員を倍増します」だってありなんだけど、用語の単純化はそうやって起こる。

価値の捏造は速度を上げるために単純化し、グルグル回りすぎてバターのようになっている。アイドルは構造の発見を重視され、本人が可愛いとか歌がうまいとかじゃなくて選挙制度などのメタファーで動く。人気ランキングでトップを取るのではなく、自分たちの中にランキングを作ってしまう方式。

それが悪いと言っているんじゃなくて、それこそが表面化しない共同幻想で「なぜそこに総選挙が存在するのか」を問う前に選挙システムがあることを認めて投票券を買っている。

ある日、突然競馬場が出来ていて、何も考えずに馬券を買っているようなものだ。ここに競馬場を作ってもいいか、という認可システムが完全に抜け落ちている。

さらにそこに仮想通貨が生まれる。通貨も中央集権システムから抜け出し、概念としての流通が始まった。どこの国にもある通貨をすべて純粋なデジタルデータに置き換える。これはクレジットカードや銀行のATMと同じに見えるけれど、プルシステムとは成り立ちがまったく違う。

仮想の概念を仮想の通貨で買うことになる。これは人類が始まって以来のマチズモの崩壊にも繋がっていくと思うんだけど、ジュリアス・シーザーやナポレオンのような剛腕の権力者が出てこなくなる、平和で去勢的な仕組みなのかもしれない。

Bitcoinの考え方の中のひとつに「国家権力が独裁のために国民の資産を剥奪できなくする」というのがある。ここはとても大事なところかもしれない。国家単位の財政破綻が国民に及ぼす影響もまったく違う様相を帯びて来る。

とにかく、システムが現象を生むんじゃなくて、システムが提示された場所で何が起こりうるか、に変化し続けてることは逃れようのない事実。プロ野球チームは新聞社、鉄道会社が持っていたものだけれど、これからはそのDNAが変わっていくよね。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。