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創造と消費:Anizine

たとえばテーブルの上にリンゴがひとつ置いてあったとする。

「それについて2時間話せ」と言われたらあなたはどうするだろうか。リンゴには小さい金色のラベルが貼ってあって「紅玉」と書かれているのを見るだろう。「紅玉は甘すぎないので、アップルパイなどの加工用に使われるんですよね」などと言うかもしれない。でも知っている知識がそれだけなら、たった30秒で終わってしまう。これが「情報の消費」だ。

紅玉という名前は記号であり、付随した情報を知識として知っていたとしても、それ以上のことは出てこない。何かを知っている、というのがこういう状況を指すことは多い。与えられた情報を消費することは幼稚である。「このリンゴは紅玉と言って、とても美味しいんですよ」とスーパーの店員に言われても、あなたが青森県出身なら店員よりも知識があるかもしれない。「ふじ」も美味しいけどなあ、なんて思うだろう。

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知識というのは「連結」しないと意味がない。紅玉は美味しいというだけでは断片的なひとつの情報でしかないので、座標がない。それがどこに位置しているかという客観性がなければ優劣を評価することは不可能で、自分が「紅玉」以外の情報を知らないなら評価は無価値のままだ。世界中のありとあらゆるリンゴを食べてきた人が、「紅玉が一番美味しい」というのとはまったく意味が違う。単純な情報に騙されがちな人は、客観性の無さに鈍感で、目の前の独立した小さな情報に多くを期待しすぎるきらいがある。

では、このリンゴについて2時間話すにはどうしたらいいだろうか。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。