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ロンドンの5日間:博士の普通の愛情

食事をしながら、友人とイギリスについての話をしていた。どこに行ったときは面白かったとか、あそこで食べた料理はまずかったなどという、よくある話だった。

ロンドンのビジネスセンターの名前が出たとき、僕は数十年前に淡い恋心を抱いた英国人女性のことを思い出し、それよりあとの友人の話は何も耳に入ってこなかった。

ロンドンでの仕事の打ち合わせで彼女に会った。僕が名刺を渡すと「この文字はどちらが上か下かわからない」と言ってクルクル回し、笑った。彼女の名刺には聞いたことがない苗字が書かれていた。もちろん僕は英国人のポピュラーな苗字を全部知っているわけじゃないんだけど、なんとなくそう思った。

僕らはペアになって仕事をすることになった。僕の恐ろしく独特な文法の英語を理解しようとして、顔のすぐそばでじっと目を見つめてきた。長いまつげ、ウェーブがかかった金色の髪、灰色に薄いグリーンが混じった瞳。ローズマリーのような香水が漂ってくる。

僕らが一緒に過ごしたのは、たった5日間。

毎朝、僕が泊まっているホテルで朝食をとっているときに彼女が迎えにやってくる。向かいに座って、アイラはコーヒーだけ飲む。

「アイラって、よくある名前なの」

「うん。多い名前。島っていう意味だけど」

「へえ。アイランドってことか」

「そう」

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僕は、どこか遠くに行ったときに出会う人の魅力は4割増しだと試算している。旅先で会う人が誰でも魅力的に見えるのは相手の問題ではなく、旅をしている高揚感に支配された乱視のせいだ、とわかっているからだ。

だから、日に日に恋心を持つようになっていくアイラのことも、心の中で「4割減だ」と言い聞かせていた。仕事は順調に進み、僕の特殊な英文法に彼女が慣れてきた頃、お互いにプライベートな話をした。テムズ川が見えるセント・キャサリンズ・ピアにあるバーだった。年齢は女性から言うまでは聞かなかったが、彼女は僕よりふたつ年上だと自分から言った。アイラは僕をもっとずっと年下だと思っていたらしい。アジア人は子どもっぽく見えるからね、というお決まりの展開だ。

僕はこの気持ちが、たとえ6割の真実と4割の勘違いでもいいから、伝えてみたいと思った。僕は毎晩仕事を終え、ビジネスセンターからアイラと帰るとき、ホテルの一つ手前の角で彼女と別れるのがどんどんつらくなっていた。彼女の家はホテルから数分のところにあるらしい。

帰国する前日、その日で会うのが最後になってしまうスタッフが集合した。リックという若い男以外とはほとんど会話もしなかったからあまり感慨もなく、儀礼的な別れの挨拶をした。5人くらいが並び、僕はホームランを打ったバッターのように彼らの前を通り過ぎながら、次々に握手をした。

列の最後には、アイラが並んでいた。

「あれ、アイラとは明日も会うよね」

僕が聞くと、突然彼女は僕にハグをして、頬にキスしてきた。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。