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80階から飛び降りる:Anizine(無料記事)

「好きなことを自由にやるべきだ」ということを説明するとき、俺は「最終的には死んじゃうんだから」と言うことにしている。それ以外にない。

前にも書いたことがあるけど、人間は生まれた瞬間に80階建てのビルから飛び降りているのだ。地面に激突して死ぬ終わりの瞬間は誰にでも平等に訪れる。それが30階建てのビルなのか15階なのかはわからないが、とにかく自由落下をしている。有限な終わりが決まっていることがわかっているならなぜ生きるのかを問うのかが哲学である。プールへの高飛び込みのように、水面に着くまでにどんな美しいポーズを取ったかがその人の人生で、だから時間を無駄にしてはいけなかったのだ、と若い頃の怠惰な自分を後悔している。

10代の頃は永遠に続くかと思っていた命も、最近では現実的な終わりが見え始めてきた。何度かわかりやすく死にそうになった経験もその実感に拍車をかける。俺たちは全員、終わりのある命を生きているから、こういうことを書いているときでも、「明日死んだらこれが最後の投稿として残るんだな」と思ってしまう。だから日々書くことは、宙ぶらりんにサイバースペース上に放置され続ける最後の言葉だ、と思わなくてはいけない。

「腹減った」

でいいはずがない。でもそれが、「あの人は食いしん坊だったよな」と人となりをあらわしていて涙を誘うことがあるのかもしれないから、よしとしよう。

実際に毎日を生きていく上で、明日死ぬのかもと思ってばかりいたらやりきれないからみんな知らない振りをしている。俺は明日も明後日も生きていると思っていなければ、Amazonでキャンプ用品の注文などできないだろう。オケラだってアメンボだって、誰もが週末のキャンプまで自分は生きていると思うから生きていられるのだ。

それこそが、「今日(だけ)を生きる」ということのヒントになる。後のことばかりを不安に考えて、大事な「今」を前払いするのは勿体ない。反対に、生きることはキャッシュ・オン・デリバリーだから、バーではツケで飲んではいけない。後にも先にも、負債である何かを引きずってはダメなんだろう。俺はまったく酒を飲まないんだけど、比喩としてバーとかを持ち出すとカッコいいんじゃないかと思って書いている。

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我々は、人気者で人望があり多くの財産を持っていただろうと思われるコメディアンが、アイーンという間に亡くなった出来事を目の当たりにした。彼は一生懸命働いて、リタイアした老後をのんびりと過ごそうとしていたのだろうか。それは本人にしかわからないんだけど、想定していたはずの老後は来なかった。あまりにも若く突然だった。

では刹那的に宵越しの銭は持たないと言って遊び歩いていればいいかというとそうでもない。思っていたより「長生きしてしまう」ということもあるからだ。カードを使っていなかった頃、外国で両替したお金を気持ちよく使い切ることに苦心した。手元に残った数百円程度のお金は換金できないし、持ち帰っても何の役にも立たないから帰る直前にゼロにしたい。飲みたくもないコーシーかなんかを飲んでちょうどゼロになった気持ちよさを堪能して空港に行くと、売店でどうしても欲しいモノを見つけてしまったりする。こういう「計算できなさ」が人を支配している。計算を失敗して足りなくなる不安を解消するために貯金ばかりしていると現地で使うお金もケチるようになって、結局「今」を楽しめなくなる。難しいよね。

と、ここまで書いてから、これが俺の最後の投稿になったら皮肉だなとも思うんだけど、とにかくすべての出来事はビルから飛び降りている間に起きている出来事だから重力に逆らったコントロールはできない。

俺の墓銘は「モラトリアムなまま、ここに眠る」でいいや。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。