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口に合わない料理:PDLB

自分の口に合わない料理を「不味い」と言うこと。

これほど幼稚な行為はないと思っています。私たちは起きてから寝るまで、さまざまなサービスに支えられていますが、それらのすべてが「自分好み」であるとは限りません。自分が不要だと思うことを他人は歓迎しているかもしれないからです。全員にとっての100%の正解があり得ない以上、自分の正解を丁寧に探すしかありません。その努力や対価や時間を抜きにして他人の行動を批判するのは子供じみたわがままな幼稚さでしょう。

サービス業は仕事の中でも歴史が浅くまだまだ発展途上で、抽象性と付加価値の高い業種です。作物を育てた人が売るという原始的な農業は進化していき、有能な仲介業者として売る人が出てくる、仲介業者が増えると安売りを得意とする人、選ばれた高級な小麦だけを売る人という細分化が始まる。パン屋さんに小麦の情報を教える人が出てくる。作る、売る、買うだけではない中間部分の洗練が、今の時代ではメインになっているとも言えます。

その細分化は消費者の要求によって決まっていますから、領域を横断することができません。「自分の口に合わない料理」を食べた責任は、店を間違えた自分の失態であることも少なくありません。こういった場合に残念なのは本来の価値を損なってしまう可能性があるということです。

「フェラーリを買ったが、以前乗っていた軽自動車に比べて狭い住宅地で使い勝手が悪い」というレビューがあったとして、それに何か情報としての価値があるでしょうか。それは事前にフェラーリという特殊なクルマの存在意義を知らなかっただけのミスだと言えます。わかりやすく大ざっぱな例を出しましたが、これと同じことがどんな分野でも起きており、「だからフェラーリは悪いクルマである」という誤った情報が、クルマに詳しくない人々へ拡散する原因になっています。

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サービスや情報に大きな価値がある現代で誤ったマイナスの情報が流されることは、物理的な破壊とまったく同じ意味を持ちます。レストランの味が気にくわなかったという「個人的な好みの意見」を批判的に公表することは、まさに看板に傷をつける行為になるということです。多くの人々は誰かの意見を参考にしていて、それがレビュー文化ですが、そういった行動様式にあまり「文化」という言葉は使いたくありません。

誰かの推薦がないと自分の行動を決められない人は上質な消費者になり得ません。あるブランドの評判が良ければ買うし、悪い情報を見れば買わなくなる。浮動票と言えます。ですからその(マジョリティである)人々を追い求めてしまうと、ブランドの存在もまた質の低いものになります。

領域を横断しないとは具体的にどういう意味でしょうか。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。