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天ぷらとジーコ:Anizine

ある人が、天ぷら屋で食事をした話をFacebookに書いていた。

「たまたま近くで仕事が終わったので、旧友が経営する店に行ってみた。久しぶりに友人にも会えて楽しかった」という、ごく普通の微笑ましい日常のスケッチだ。しばらくすると投稿のコメント欄に恐るべき殺傷能力を持った「対人スキルのない人」が登場する。

「目黒に来てたんですね。地元です。目黒なら◎◎という天ぷら屋さんがすごく美味しいので、ぜひ食べてみてください」

と書いたのだ。いくらなんでもこれはアウトだろう。旧知の友人の店で天ぷらを食べた、というストーリーをまったく理解していない。自分の住む町の名前が出てきたことにだけ反応し、知っている店を教えたいという感情が前のめりになり過ぎて、周囲がまったく見えなくなってしまっている。

こういう人の特徴は、反射的に一部分の単語だけしか「見て」いないことだ。読んですらいない。目黒という文字のシェイプだけを見ているのだ。これを例として「対人スキル」という言葉を持ち出すにはレベルが低すぎるけど、往々にして自分に関係している文字を見ると視野が狭くなる人は多い。

反対に、ずっとみんなが宮城の話をしているのに黙って聞いている人がいた。塩竃のあそこの店が美味しかった、松島の景色は綺麗だった、という話題をただただぼーっと聞いている。興味がないのかと思ったら「仙台で生まれ育った」と言う。もうちょっと食い込んでこいよ、と思ったけど、彼は大学から東京に来ているのであまり酒を飲むような店は知らないし、自分がいた頃の情報では古いだろうから黙っていたという。まあ、こっちの方が場を読む能力があるとは言えるだろうけど。

ソーシャルメディアはそれを観察する最高の場所であり、俺はいつも「ネットが中学生の頃になくてよかった」と思っている。幼稚で対人スキルがないまま、オープンな場で何かを言ってしまう危険を回避することができたからだ。俺たちはネットのない時代に育ち、大人になってからそれを知った、過渡期を生きた世代。今の子供は小学生であろうと容赦なくクラスのグループLINEなどでいじめにあう。恐ろしい世の中だ。

それを年齢だけでなく対人スキルの問題だと感じるのは、大人でもそこが幼稚な、さっきの天ぷらおじさんみたいな人がたくさんいるからだ。

世界の縮図なんて言葉もあるけど、縮図どころではない。リアルな原寸大サイズのままそこにある。ネット上で野球に関する話をしている人の中には、中学生の野球部員もいれば、ダルビッシュ本人もいる。こういう場所で自分のポジショニングを見誤ると痛い目を見る。

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俺はネットではないけど、かなり恥ずかしい体験をしたことがある。恥ずかしいから有料部分以降に書く。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。