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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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#写真家

山村紘未さん:写真の部屋(無料記事)

いいモデルが目の前にいなければ、いい写真が撮れないのは当たり前です。つまるところ、写真家にとって「いいモデルと出会う能力」がとても大事だということになります。写真はモデルで女優の山村紘未さん。ある撮影で知り合い、何度も仕事をしました。 モデルとして活動していたときから、この人は俳優に向いているのではないかと感じていました。衣装を着てカメラの前に立った瞬間に何かが見えてくるからです。神秘的な言い方は好きではありませんし、おおげさな表現かもしれませんが、彼女がそこにいれば何もし

ブランディング:写真の部屋

私はアートディレクターなので、写真家に撮影を依頼する側でした。そのとき、「こういう意味を表現したいので、こう撮って欲しい」という意図を汲み取ってくれるかどうかで写真家の能力を判断していました。その解決法は「私の理想とする結果として」と限定していますから、絶対的な正解ではありませんが、中には「こう撮ったほうがカッコいいよ」と言う人もいました。それに「なるほど」と思った経験は一度もありません。 なぜなら、アートディレクターはスタートから最終地点までを何度もシミュレーションして、

選ばれているか:写真の部屋

自分がアートディレクターでもあることから「撮って欲しい写真」には明確な基準があります。デザインだけをしていた頃と、写真も撮るようになった現在では求める写真に大きな違いが生まれました。アートディレクターはクライアントとの会議を何度も経てビジュアルの設計図を作り、そこに必要な写真はどんなものであればいいかを決め、写真家と他のスタッフに依頼します。 そのとき、こちらが思っているような写真が撮れない場合があります。理由はいくつもあるので詳しく説明しますが、ここからはメンバーのみとし

ヒリヒリしないと:写真の部屋

写真は料理と重なる部分が多いので、ついその喩えを使ってしまいます。素材を吟味して探し、技術を使って調理して、皿に盛り付ける、最初から最後まで似ています。 料理を作る技術のベースメントは、それまで自分が食べてきたものによりますから、美味しいものを食べた経験がない人が素晴らしい料理を作ることはあり得ないと思っています。写真も同じです。シェフが舌を鍛えるように、写真家の眼が鍛えられていないと、自分が撮った写真がいいかどうかがわからないはずです。 手垢のついた「インプットとアウト

釣り針のポートレート:写真の部屋

あるテーマというか手法があって、それを本格的にまとめて撮り始めようと思っています。人と会えない状況が数年続いてトンザしていましたが、仕切り直して再開します。ジャンルを大きく分けるとポートレートと言えるのでしょうが、やや複雑な撮り方をするつもりです。仕事は決められた目的があるのでいいのですが、作品は「釣り針」のようなもので、魚をバラさずに釣り上げるには「返し」がついていないとダメなのです。一度刺さったら決して逃げられない、魚本人にとっては残虐極まりない、あの部分です。 ポート

笑顔を発明した人:写真の部屋(無料記事)

「笑顔、笑顔って、お前は『笑顔を発明した人か』」という、かもめんたるのコントの台詞があります。大好きな言葉ですが、日常生活でも写真を撮るときでも「笑顔」を宇宙の真理みたいに求める人っていますよね。 この流れでもう私のスタンスは十分にご理解いただけたと思うんですが、笑顔が一番大事と言う人を心の中と外で、笑顔バカと決めつけています。もちろん自分が好きな人が笑顔でいるときはうれしいものです。それはわかっていますが、24時間笑顔だったら気持ち悪いし、あるときふと見せる笑顔の価値がな

写真家のキッチン:写真の部屋

おととい行ったレストランにはメニューがありませんでした。ひとつのコースだけ。アミューズからデセール、最後のお茶まですべてがシェフの決めたものです。 アラカルトで「これとこれが食べたい」と選ぶ方法とは違って出てくる料理はすべて決まっているので、客はシェフを信頼するしかありません。もちろんどれもこれも素晴らしく美味しかったのですが、食べながら自分が写真を頼まれるときのことを考えていました。 「こう撮ってください」とオーダーされたとき、その内容に納得ができればいいのですが、発注

白トリュフと本マグロ:写真の部屋

ここ数日、「写真を撮るとはどういうことか」という話題で人と話す機会が何度かありました。話すこと、言語化することは自分の考えを整理することでもあるので、相手に伝えようとしていることを自分自身が発見するのです。 写真を撮るときに何を考えているかを丁寧に分析してみると、ほとんどの部分が実は写真そのものとは関係がないことに気づきます。抽象的な言い方になりますが、表現というのはそもそも抽象的ですからロジックとの境界線をはっきりと線引きすることが大切です。 時折、抽象的な部分と具体的

設計図を大きく:写真の部屋

写真を撮るのとデザインする脳は、似ているところと違うところがある。似ているのは「構築」という部分で、具体的に言えば配置する感覚。だから最低限デザインを学んでいる人は最低限の写真は撮れると思うし、反対に言うとデザインを学んでいない人の写真を見るのは厳しい。 デザイン的、という言葉は写真においては褒め言葉ではなく、俺が撮り始めた頃にも「デザイナーが撮った写真だね」と言われたものだ。完全に貶している。我々アートディレクターは、仕事が発生するとどんな写真をどうレイアウトするか、着地