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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2021年1月の記事一覧

白いジャンパー:写真の部屋

子供の頃に、大人がキッチリと嘘をついたのを初めて見た。それはテレビ番組を作る人たちだった。 細かい部分の記憶が定かではないのが申し訳ないんだけど、たぶん小学校3年生くらいの頃、横浜のある公共施設で遊んでいたらテレビ番組の取材が来た。その場にいた子供数人が遊んでいる姿を撮らせてくれと言われ、展示ブースの前に集められた。まずこの時点で「やらせ」なんだけどね。 テレビカメラを持ったおっさんが「もっと、右、もっとくっついて」などと指示を出す。そこにひとり、障害を持った小学生がいた

そうではないモノの法則:写真の部屋

広告のアートディレクションを最初に勉強し始めた頃、「アイデアを生み出す法則」というのを読んだことがある。似たようなことは多くの人が語っているから、普遍的なメソッドなんだろう。 それを読んでさらに思い出したのが80年代の『写真時代』だったかに書かれていた記事だ。雑誌とはどうあるべきか、何が載っていればいいのか、という編集部のステートメントのような文章だった。 そこには「見てはいけないものや、写っていてはいけないもの、が載っている」というようなことが書いてあって、かなり過激だ

違和感の心地よさ:写真の部屋

初心者ほど、自分がやりやすく、何度か試して成功した(と自分では思っている)撮り方に固執しがちですが、そんなものにこだわっていてはいつまで経っても能力が向上しません。ヘタな人に「作風」や、毎回同じ方法の「タイポロジー」など、誰も期待していないのです。 写真には無限の可能性があります。いつもやっている方法にとらわれると写真の幅が拡がっていかないのでどんな方法でも試してみると、思いもよらない表現に出会うことがあります。 目で見ているモノと、写真に写ったモノには違いがあります。人

ジュネーブとブリュッセル:写真の部屋

カメラさえ持っていれば、近所の公園でも家の猫だって撮れる。 とはいうものの、やはりどこかに行きたい。知らない場所に写真を撮りに行くのは「個人的なジャーナリズム」への欲求であると言えます。 ちょっと差別的な言い方になるかもしれないですけど、デザイナーとカメラマンの知人を比較すると、圧倒的にカメラマンの方が話が面白いことに気づきます。彼らは移動していないと仕事にならないわけで、移動先では必ずと言っていいほど「自分の居場所」とは違った文化に接することになります。 もちろんアー

ボツにした理由:写真の部屋

この写真。地下鉄からの風がテープを踊らせていて面白いかなと思って撮りましたが、ボツにしました。さて、その理由は何でしょうか。

ジョン・ケージの255:写真の部屋(無料記事)

うつむいて写真を撮っていると通りがかった人が不思議そうに見ていく。何でもないモノですが、撮れば否応なく写真になります。そこにイベントがなくても撮れるのです。 口を甘辛くして何度も言いますけど「撮る意味がないモノ」などはひとつも存在しません。ミュージシャンでもハリウッドスターでもないのに、あなたは自分の家族を撮るのと同じように、写るモノの価値は撮る人が決めます。 つい最近閉店してしまったけど、青山、骨董通りの入口にParisのカフェ「ラデュレ」がありました。Parisの店は

瓦礫ではない:写真の部屋

時間がかかってできるカタチ。 それは写真を撮りたい気持ちを引きつけますね。俺は「レトロ」という表現が好きではなくて、それは古くなったことをただ珍しがっているように感じるからです。古い電気店の看板とか、大昔の蓄音機とか。 それらは生まれたときには最先端であったはずなんです。自分が古くなったあとに面白がられることをよしとはしていないと思います。たとえば「iPhone12だ、レトロ〜」と数十年後に言われるかもしれませんよね。 時間がかかって生まれるカタチに価値があるのは、意志

先入観:写真の部屋

写真を撮る瞬間とか、撮った後のことをいうのはわかりやすいんですけど、そのずっと前のことがどうしても気になります。 どういう衝動で自分は「シャッターを押したくなるのか」に自覚的になることを心がけていて、それは個人的すぎて、人とは共有しにくい感覚です。 いつでも写真を撮っているので、後から見たら失敗だと思うものもたくさん残っています。その例としてはうまくないかもしれませんが、たとえばこんな写真。長野にロケに行ったとき、少年が自転車に乗って走ってきたのを撮りました。 こういう

Always HIGH Prices:写真の部屋

写真に写っている文字情報を引用するという、一番ダメな例で始まりましたけど、たまにはダメさを確認するためにいいでしょう。 今日は、HIGH Pricesとまではいきませんけど、自分の写真のプレゼンテーションについて書きます。俺は写真を撮る前はアートディレクターをしていたので写真を見るのが仕事でした。自分の写真を使って欲しい、というアピールをしてくる人に会ってきたわけです。 「プレゼンテーションを受ける側」を経験しているので、撮る方に転じたとき、どうすればいいかはわかりました

有名人を撮っていますね:写真の部屋

写真は自由だから、誰がどう撮ってもいい。 毎回同じことを書くのはなぜかというと、ネットの性質上、その瞬間だけを見て判断する人が多いからだ。この前もあることを比喩を使って書いたら、「それは間違っている」というリプライが来た。見出しの2行しか読んでいなくて、本文の書かれたリンクを開いてもいないのがわかった。定期購読マガジンなので、それを書いた人が「メンバーにしか読めない核心部分」を読んでいないことも俺にはわかる。 検索で引っかかったり、誰かからのシェアで回ってきた記事の見出し

お金になる写真:写真の部屋

あえて生々しく、下品なタイトルをつけてみました。 「写真の部屋」は定期購読マガジンで、お金を払って読んでもらっています。月500円、一度コーヒーを飲むくらいの金額でしょうか。 インターネットが普及し始めた頃とは違って、情報の採集や選択はどんどん面倒になってきています。その手間を省くために「note」のようにセレクトされた有料コンテンツに価値が出てきました。そこは個人の価値基準ですから、無料のものを丁寧に探し出せる能力と時間がありあまっている人はそれでいいと思います。 情

クリアされていない写真:写真の部屋

今回は、ものすごく簡単にできることなのに、知らないとまずい技術について書きます。それは「人に写真を見てもらうときの最低条件」の話です。それがクリアされていない写真を見せることは、恐ろしいことなんです。 まずこの写真を見てください。ひどいですね。

基準が写る:写真の部屋

すべてのことは「料理の比喩」で、何とかなると思っている私です。 友人にシェフが多いので適当なことを言ってはいないかといつもヒヤヒヤしていますけど。 各地から集められた上質な旬の食材、料理の色や形を際立たせるための器、フォークやナイフ、インテリア、ソムリエのサービス、磨き抜かれ、選び抜かれたそれらのすべてを客は味わうことができます。 ルーブルに飾られた絵は数年後に観ても同じでしょうが、その隣にあるレストランで前と同じモノを注文しても味は微妙に違うはず。料理は100回食べれ

9割の他人:写真の部屋 (無料記事)

今年もよろしくお願いいたします。 写真って、9割近くは「写っているモノ」で決まってしまいます。そこに花が咲いていた、馬がいた、クラシックカーがあった、なんていうのを見つけて撮るわけで、そこには自分の手柄なんてありません。ただ、出会ったモノを撮らせてもらうのみです。 数年前に書店で、ある著名な写真家の写真集をパラパラ見ながら話しているカップルがいました。男性は写真をやっているようで、彼女にその本を見せながら「俺、次の個展はこの人みたいに撮ろうと思ってるんだよね」と言ったので