マガジンのカバー画像

写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
¥500 / 月
運営しているクリエイター

2020年11月の記事一覧

誰を撮ったか:写真の部屋

無邪気に「有名な人」に会った話をしたがる人は、目の前にいる「無名な人」と一緒にいる時間を大事にしない、差別するタイプであることが多いよ。 「この写真の人は誰?」って聞く人は、写っている人が持っている価値の話しかしていない。そんなことはどうでもいい。 「写真の部屋」 https://note.com/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea

レンズ:写真の部屋

ズームレンズはほとんど使わない。自分にとっては使いにくいから。 ロケに行く時は荷物を減らしたいと思って一旦バッグに入れてみることがあるんだけど、たとえば24-70mmと70-200mmを準備した後、どうしても24、35、50、85、100、135mmの単焦点が必要だと思ってしまう。そして最後はズームを持って行かない、という結果になる。 レンズは好き好きだから自分が使いやすいものを選べばいい。描写はズームより単焦点の方がいいというのはかなり昔の話で、今では遜色ない性能のもの

齋藤陽道:写真の部屋

日本橋三越でおこなわれている、陽道さんの写真展にお邪魔してきた。 彼の写真は、写真の原点というか、本質を知りたい人にはぜひ見てほしいと思う。もちろん陽道さんは写真の技術も優れているんだけど、「写すべき人と会い、写すべきモノを見つけて」撮っている。写真とは極言してしまえば、ただそれだけのことなのだと思う。それ以外の部分は全部オマケ、自己顕示欲や自己満足なんじゃないかと、恥ずかしくて顔が赤くなる。 陽道さんのことを知らない人は、まず『うたのはじまり』という映画を観て欲しい。彼

戦うなら強い人と:写真の部屋

片山優子さんのボタン・アクセサリーはとても美しい。いいモノを目の前にして撮るのはとても楽しいことなんだけど、元になるモノが持っている「価値」を写せたんだろうか、と不安になることも多い。 だから、撮るときはできるだけ自分が太刀打ちできないレベルの人やモノを選びたい。強い相手と戦えば、強くなる。 勝てる相手や、戦いを意識しない相手を撮っていても写真はうまくならないんだろうなあと感じます。 https://kochukochu.info/ 「写真の部屋」 https://n

RAWというネガ:写真の部屋

RAW現像は、正確に、かつ微妙な個性を出す大事な作業。 商品カタログなど以外では、プロファイル通りのカラーチャートで正しい色を出す必要があるけど、それだけではなくプラスアルファの創造的な「個性」を出すことも試してみる。 普段はできるだけ元の色調やコントラストを損なわないように心がけているが、ちょっと極端なことをしてみたのがこれ。面白いからと言ってコントラストや彩度、明瞭度を上げ過ぎてしまうのが初心者の陥りやすい失敗例なんだけど、それをさらに過激に超えてしまおうと思う。

Youtubeの人(前編):写真の部屋

Youtubeで、あるフォトグラファーのリンクが流れてきたので見てみた。そこから同じ話題について話している他の人の動画もあわせて見た。それぞれにスタンスの違いがあって面白い。 その話題はよくあるけど、「私はいかにして職業写真家になったか」というもの。これは「私はどうすれば職業写真家になれるのか」という問題の答えに思えるから、写真で生計を立てていこうという人には興味があるだろう。 そこで感じたことはいくつかあって、まず本人がどんな仕事ぶりをしているのかがはっきりとわかる。誰

写真と文字:写真の部屋

写真は「絵」を観るものなので、文字はできるだけ入らない方がいいと思っています。認知の速度が絵と文字では違うからで、そこにズレがあると見にくくなります。 認知の速度は重要で、無意識に処理している場合もあるんですけど、自覚的にしておくと精度が高まります。無意識というのは表現が乱暴ですが、カメラを向けてファインダーの中に見えた風景の中に、どんなモノが配置されていると心地よいのかを瞬間的に理解することと言えます。 たとえばこんな写真があるとします。コントラストの問題もありますが、

デザインされたプレイ:写真の部屋

それだけだと何でもないのに、複数を並べると面白くなる写真がある。 これは前に書いた「下手くそな写真」「ピークを撮らない写真」の話にも通じるんだけど、あまりにも構図や構成が決まりすぎていると気恥ずかしいし、たくさんの枚数を見るときには息が詰まる。 映画で言えば、激しいシーンの合間に、なんでもない空のカットがはさまれていたりするのに似ているかもしれない。一枚見せるのと数百枚見せる、という行為はまったく違う。

サトリの化け物:写真の部屋

今までにも何度か、写真とは「サトリの化け物との戦い」だと書いてきた。 こうしたらかっこいいだろう、こう撮ったらオシャレだ、こういうアングルは斬新なのではなどという、撮る側のあざとい意図は化け物から見透かされているものなのだ。 化け物は他人でもあり、自分でもある。 なぜ私はあのとき、わざとあんな撮り方をしたんだろうかと自己嫌悪に陥る。昨日より今日のほうがうまくなっているのだとしたら、古い写真を誇らしげに語ることなどできない。昔より撮る技術が上がっていれば「写真を見る目」も