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博士の普通の愛情

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。
恋愛に関する、ごく普通の読み物です。
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#映画

恋愛ではない映画:博士の普通の愛情

恋愛映画を好んで観ることはあまりないのですが、いい映画だなと思ったものが、よく考えたら恋愛をテーマにしていたということはあります。 愛情のカタチが典型的でないものが好きなのかもしれません。「それって恋愛映画のジャンルではないでしょう」と言われるようなものもあります。でもそう感じたらそうなのです。『ガープの世界』はとても好きで、あまりにも色々なトピックが詰め込まれている映画ですが、私は恋愛の部分に一番共感します。『ビューティ・インサイド』は、相手が表面的に誰なのかすら重要では

これ以上あなたと会話したくない:博士の普通の愛情

『若武者』という映画を観ました。結論から言えば、素晴らしい映画です。舞台は日本なのですが、北欧あたりの映画を観ているような気持ちになりました。ごく普通の街、暇を持て余した三人のどこにでもいるような若者。彼らはそれぞれ仕事を持ち、鬱屈した日々を送っています。遅ればせながら最近知った二ノ宮隆太郎監督の映画には華々しい雰囲気をまとった人物は登場しないことが数本観てわかりました。彼らは皆どこかに傷を持ち、先の見えない暗いトンネルの中で反響し続ける自分の叫びに怯えています。 『若武者

三度目のウンチ

4年前に初めての本を出し、先月末に二冊目が出ました。出た、って言い方はどうなんですかね。小学生がウンチの話をしているくらい幼稚ですね。上梓とか出版とか刊行とかリリースとか色々な表現があるんですが、出版や刊行は出版社が主体であるような気がするので私が言うのは違います。上梓というのは、昔、梓の木で版を作っていたからだそうですが、今回の本は木版は使わず、デジタル作業がメインのはずですからしっくり来ません。 下品な言い方で恐縮ですが「考え」というのは排泄物のようなものですから、ウン

恋愛映画:博士の普通の愛情

毎日一本は映画を観ています。義務でも勉強でもなく、習慣で。 好きなのはサスペンスもので、このジャンルは圧倒的に韓国映画が優れているのでそればかりになってしまいます。韓国の映画がすごいのは不可能を可能にしているからかもしれません。忖度がないのです。こういう表現だと問題が起きるかもしれない、というリミッターがありません。暴力も憎悪も徹底的です。邦画をことさら悪く言うつもりはないのですが、俳優の事務所の意向や撮影許可の問題など、「可能な範囲の裏側」が透けて見えてしまい、現実に引き

恋愛と同じ:博士の普通の愛情

最近のブームは、何か知った風なことを言ったあとに、 「それって恋愛と同じですよね」 と、まとめることです。「人生と同じ」「政治と同じ」と、何でも使えるんですが、頭の悪い感じが出るので恋愛を使っています。あまり精密に論じられることがない「恋愛」ですが、それは「愛情」とは似て非なる物です。ここのところはとても大事なはずなのに混同して語られることが多いのです。 では、愛情と恋愛はどう違うのでしょうか。

恋愛映画:博士の普通の愛情

恋愛映画というと「ただただ甘いもの」だというのは早計です。ちょっと変わった角度から恋愛を描いた映画もあるのです。今日はそれらをご紹介しますが、もし一本でも知らなかった、というものがあれば幸いです。また、皆さんのお薦めがあればコメント欄で教えてください。

生きてるだけで、愛。

外国に行って感じるのは、国民性のように抽象的なモノではなく、初めて出会う、個人的な感覚であることが多い。言い方はヘタだけど、「こんな個人に会ったことがない」というような。 わかりやすく違って見えるのは、女性だ。 恋愛を軸にすると、はたして俺はこの異国の女性と恋愛ができるだろうか、と考える。すると、この土地に骨を埋める覚悟があるのか、あたりまで芋づる式にたぐり寄せることになってしまう。 便宜的に日本女性を「特殊」と位置づけることを許してもらえれば、それ以外の国の女性は、意

ボールのないサッカー。

愛する人との記憶を失っていく映画を、今まで何本観ただろう。 「明日の記憶」「私の頭の中の消しゴム」「アリスのままで」あたりがわかりやすいところかな。目の前に昨日までと同じように存在している人が自分を認識しなくなる。その設定で面白い映画が作れないはずがない。 家族と恋愛とでは「愛情」の種類が違うけど、人は相手を憶えている、という一点のみで繋がっていることを再確認させられる。頭の悪いたとえで言えば、サッカーのユニフォームを着た二人はいるが、ボールがない状態か。 頭の中の消し