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スピリチュアルあれこれ#6.5「主護霊からのメッセージ」

  こんにちは、もしくはこんばんは。アユムです(^^)

  今回は、スピリチュアリズムと出会って間もなく、僕が自身の主護霊について興味を持ち、コンタクトを図った時のエピソードと、その時に受け取ったメッセージを紹介したいと思います。

叔父との探求

  僕のスピリチュアルな感性が高まり、霊的真理(スピリチュアリズム)と出会うのは16歳頃に遡るのですが、その頃、叔父も同居していました。
  その叔父は、幼い頃から霊感が強く、他の人たちには見えない存在(魂の存在)を、生きている人と同じように見えていたような人。
  周りからすると1人で遊んでいるように見えても、実は、防空頭巾を被った女の子と遊んでいたりしたそう。
  叔父本人は、小学校に入るか入らないかくらいの時に、自分に見えているものは多くの人には見えないらしいということに気づき、他言することはあまりなかったようですが、大人になってからもその能力は消えることなく、意識をするとその人の未来なども見えたりもします。

  僕のスピリチュアルな感性が目覚め始めた時、家族にも大きな変化があり、人生の転機を迎えていました。その流れの中で、叔父が同居することになり、叔父が仕事から帰った後、その日の出来事から哲学の話や心理学の話など様々なことを語り合う日々を過ごしていました。

  そんなある日の真夜中の出来事でした。叔父が帰宅し、いつものように居間で話をしていると、突然の眠気が僕を襲いました。
  眠気と言っても、体の力が抜けるような感覚はあるのですが、意識はとてもはっきりしています。お分かりの方もいるかと思いますが、浅いトランス状態へと入り、目に見えない世界との繋がりが深くなっていたのです。
 
  初めは叔父も、寝かせようとしたのですが、僕が先の感覚を伝えたところ、それが「トランス状態」だということを教えてくれ、注意深く僕が視ている景色などを聞き取りしてくれました。
  その時の事はまた、別記事にて取り上げたいと思いますが、このような出来事は徐々に増え、僕の前世や守護霊のこと、今生の課題や人間関係の前世での繋がり、今起きていることの意味など、様々な示唆がありました。

  当時、17歳の初心者マークスピリチュアリスト(死後の世界の存在を認め、交信が可能であると認めるもの)としては、気になるのは「守護霊」のこと。
  どういうような霊が背後にいるかなど、何となくは分かったのですが、「主護霊」については、多分この人(もしくは、その人に象徴されるような生き方をした人)だろう、というところまでしか知ることはできず、当時、確証が得られることはありませんでした。

主護霊からのメッセージ

  スピリチュアリズムにおいて、守護霊が生前どのような人であったか、どこの誰であったかはさして重要なことではありません。
  なので、あまり気にしないようにはしていたのですが、自分自身にまつわることが分からないという感覚が非常に気持ち悪かったのです。それまでに受け取っているメッセージなどが、僕の知識、興味の範囲では知り得ないことなども含まれていたので尚更です。

  叔父との探求の日々から数年経ったある日、自分自身にまつわることが分からない気持ち悪さと、夢などで直接のコンタクトが取れないもどかしさが限界に達しました。

  「主護霊様の名前を教えて頂けませんか?もし、教えて頂けないのならば、これまで学んできた霊的真理を認めることはできません。」

  そう。未熟な僕はあろうことか、守護霊を脅迫したのです。次の瞬間、

「私たちは影。現世の主役たる光はあなた。」

  ・・・・・・。

・・・・・・。

 この言葉が胸に浮かびました。

  ぐうの音もでない、完璧な答え。(と、僕は感じました。。。)

  僕は、ただ、沈黙し、浅ましい自分を反省するだけ。
  もちろん、「でも」や「だって」という言葉が浮かばなかった訳ではありません。
  ですが、スピリチュアリズムを学ぶ者として、そのような言葉を継ぐことはできませんでした。

  そして何より、  

  主護霊の名前を明かして貰えないことよりも、この答えの簡潔さと明晰さに感銘を受けました。

  私たちは、常に見守っていますよ。悪戯に興味本位におもねることなく、現世での役割を果たし、現世でしかできない経験をしっかりと味わいなさい。

  と、そう言われたように感じました。


後日談

  主護霊(と思われる方)にゆかりのある土地を旅することがあったのですが、その時、唐突にその土地を歩いてみたい衝動に駆られ、歩いて小1時間ほど掛かる場所に向かいました。
  僕は、割と方向音痴なので、目立つ目印があるとはいえ、見知らぬ土地で地図をサラッと目を通した程度では目的地にたどり着くことはできないのですが、不思議なことにその場所にはすんなりと着くことができました。

  歩いている途中、「あぁ、当時もこうして自由に歩きたかったんだな。」という思いと同時に、何故か涙が溢れてきました。

  その後、帰り道で迷子になったのですが、偶然にも、主護霊に縁のある場所へと辿り着きました。その場所でお祈りをしたのですが、不思議なことに身体中がポカポカと温かくなり、それまでの疲れが吹き飛びました。(この時点で4時間ほど歩き続けていたのです^_^;)

  この時の旅の出来事と、友人の助けで主護霊(と思われる方)を知ることができました。  

 日々の霊界のお見守りとお導きに感謝しながら、今日はこのあたりで筆を置きたいと思います、

  最後までお付き合い頂きありがとうございました🍀

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