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新しい帰還~ジブリ私記(3)

 ネット界隈ではぼくは『ジブリの給与明細を暴露したひと』ということになっているのだろうけど、ぼく自身は『20年の雌伏のときを経てジブリに還ってきたやつ』だと思っている。
 ぼくは一度ジブリに雇われた。普通の新入社員じゃない。宮崎さんから口説かれる形で入社したのだ。しかし理由はいろいろあるが、ぼくはそれから2年とちょっとでジブリを辞めた。その後、ぼくはジブリに入社する前に想定していた大学院に入り直した。それから20年後、ぼくが全く別の姿でジブリに還ってくるとはまさかそのときは思っていなかった。
 ぼくの入った大学院はサブカルチャー研究の牙城でもあった。当然アニメを専門とする院生も、そうでなくてもアニメの造詣が深い者もたくさんいた。
 そういう環境もあり、あるときひとりの院生仲間が、宮崎作品を素材にゼミ発表するから、ぼくの意見も聞きたいので是非にと参加を請われた。
 あのころのぼくは、ジブリという履歴自体にうんざりしていて、ジブリに関わったこと自体に深い嫌悪感と絶望にとり憑かれていた。面白半分にジブリのことにふれてくるものも多く、さらに嫌気がさしていた。
 だからそのゼミの参加も、あまり気乗りがしなかった。
 しかしそのゼミ参加がぼくにとって一大転機になった。
 ゼミ発表が面白かったわけではない。
 ゼミ発表の論旨の説明上必要あって『もののけ姫』の任意の場面が参考上映されたのだった。
 ぼくは目を疑った。
 アニメの画面の見え方がまったく違って見えた。
 『もののけ姫』は自分が携わった作品だった。映し出されたカットのひとつひとつがどんな風に素材が組み合わさって、躍動的な場面になっていたかが、絵ひとつひとつを分解できるかのように『見えた』のだった。
 そして不思議なことに、続いた上映された、ぼくの携わっていない宮崎作品の断片の数々も、それがどのように『見え方』として工夫されているかが『全部・見えてしまった』のだった。
 ぼくは2年とちょっとの『ジブリの労働』を経ることによって、『アニメの見え方』がまったく変わってしまっていたのだった。
 それから十数年、ぼくは『ぼくにしか見えないアニメの見え方』を言葉にするために、苦闘の年月を強いられることになった。
 どうしてそれが苦闘だったのか。まず、あの『見え方』が従来のアニメ批評・評論とは全く似ていないことを思い知らされたのだ。全く先行研究のない(似たような評論がない)ので、ぼくは言葉をひとつひとつ立ち上げるしかなかった。そういう苦労はパイオニアであることを強いられた者にしか共感されないだろう。
 そういう苦闘をあらためて言葉として表現することも必要だろうけど、いまはその苦闘の結果だけを伝えましょう。
 ジブリを辞めて二十年近くのときを経て、ぼくはジブリの出している雑誌『熱風』に2021年4月から一年間、アニメ評論『アニメの「てにをは」事始め』を連載することになったのでした。
 将来のアニメ演出家として待望されながら、アニメ業界とすっかり縁が切れて20年、再びジブリに、今度はアニメ研究者として帰還したのでした。
 そんなやつ、他にいない。


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