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ひそやかな通達~ジブリ私記(6)

 もう30年も前のこと、ジブリはおそらく、将来の演出家になるだろう人材を発掘するという隠された目的をもちながら、表面上はあたかものんびりした構えでアニメ塾『東小金井村塾』を開いた。
 しかし塾生に選ばれた十数名の若者の誰もが「この塾で認められれば、もしかたしたらジブリに入社できるかもしれない」と考えていたはずだ。
 しかしそうした思惑は塾の開口一番、塾長の高畑さんの口から否定された。「そんな期待をしても無駄ですから、そういう目的のひとは来週から来なくていいですよ」と。
 しかし塾が閉校した12月になって、ぼくは宮崎さんから直で電話をもらって、あらためてジブリに出向くと、高畑さんはおらず、宮崎さんと鈴木さんだけが待っていて、ジブリへの入社をすすめられたという段取りを踏んだのだった。
 30年を経てよくよく考えてみると、ぼくの採用劇を高畑さんがまったく感知していなかったとは考えにくい。おそらく「そういうことはそちらで勝手にやってください」みたいな程度のあしらいだったのだろう。
 しかし困ったのはぼくだ。
 宮崎さんに直接かき口説かれる形でジブリへの入社をすすめられたのは、確かにとても魅力的なことだったけれど、でも塾長の高畑さんはこの塾からジブリへの採用はないと宣告していたはずだ。この誘いを断ればなにも問題ないのだが、しかしこの誘いを受けるとなったら他の塾生たちはどう思うだろう。「裏切られた」と憤る者もいるだろう。
 ぼくが困惑してしまうのも、ジブリのお膳立てが悪かったからだった。宮崎さんと鈴木さんはもうちょっと丁寧にぼくにアプローチすべきだった。
 結果、ぼくは何年も何年も、塾生の仲間に対して裏切り行為を働いた罪悪感にとらわれて生きるしかなかった。

 ジブリの人事にはある種、雑なものがある。監督が交代するだけでも何度もある。宮崎さんが直情型なのも問題はあるが、「人たらし」と言われている鈴木さんは案外「雑」だったよなあと、自分の件にかんしては思うのだ。まあ、ぼくの採用劇にあって、鈴木さんはあまり乗り気でなかった節がある。確かにそういう感触はあったのだけれど、その件はまたいつか書くとしよう。

 鈴木さんは乗り気でなく、高畑さんは感知せず、ただ宮崎さんのどこか思い込みが混じった形で始動してしまったイシゾネ採用プロジェクトは遂行されてしまい、その結果ぼくは、招待の意味もこめてなのだろうが、「逸材くん」というあだ名で宮崎さんに呼ばれることになった。
 そのネーミングセンスの悪さも困ってしまったが、こんな大袈裟な含みのある名前は困るよなあと、ほんとうに弱りきった。
 入社して数日も経つと、宮崎さんだけでなく他のスタッフも、悪意でも何でもなく、ふつうに「逸材くん、逸材くん」と呼ぶようになって、いよいよ困ってしまった。作画監督の高坂さんはその後もぼくのことを好意的に接してくれていた記憶があるけれど、その高坂さんがなんの嫌味もなく「逸材くんさ、」とにこやかに呼びかけてくれるのはいま思い出しても複雑な心境だったと覚えている。
 そんな風にあだ名で呼ばれ始めてさらに数日して、動画チェックの舘野さんがふっとぼくを呼び止めて「逸材くん、この素材のことなんだけど」と話しかけられたとき、ぼくは思わずといった感じで、「あの……その逸材くん、ってのは、どうか勘弁してください」と訴えてしまったのでした。
 その場はそのまま仕事の話で終わり、ぼくはその仕事を引き受けて、始末して、舘野さんに素材をお返ししたのだけれど、驚くべきは翌日のことになる。
 ぼくは朝一番に出勤して普通に仕事をしていたのだけれど、いつの時点だっただろうか、演出助手としての仕事を周りのスタッフから言いつかる形で受け取っては慣れない手付きでさばいていていたのだけど、そこでふと気づくのでした。
(あれ?今日、誰も「逸材」って呼んでないよな……)
 んん?と思って、今度は意識的になりながら仕事をあれこれ受け取っていていよいよ、(逸材くん呼ばわりが終わっている……!)
 舘野さんだった。
 昨夜、ぼくが帰宅したあと、舘野さんと宮崎さんとの間に何か話し合いが行われ、夜中のスタジオで宮崎さんから通達があったに違いない。
 舘野さんの配慮がなければ、ぼくはジブリで働いている間「逸材くん」呼ばわりと闘わなければならなかったはずだ。
 それがわかっても、ぼくはでも、舘野さんに感謝の言葉を伝えることができなかった。まだスタジオで働き始めて一週間程度、先輩スタッフに用件以外のことを口に出すなんて、いやいや、畏れ多くて……
 それに、ぼくは2年とちょっとでこのジブリをやめたのだけれど、その2年間、舘野さんのことをその人柄よりも、その仕事ぶりの責任感の強さに圧倒される先輩でありつづけた。ひと言で言ってしまえば怒らせてはいけない先輩スタッフ、という存在感が先に立っていたのだ(すみません、舘野さん)。ぼくが舘野さんの優しい人柄にようやく気づいたのは、ジブリを辞めてからだった。ジブリを辞めてから大学院に進んで、アニメの論文などを書いて成果物が出来るたび、報告しにスタジオを再訪するたび、ぼくを受け止めてくれる温度感が徐々に低くなるなかで、変わらぬ優しさで歓迎してくれたのは舘野さんだった。

 舘野さんの優しさ、気遣いはもちろんのことだけれど、いま振り返ると、ひとりの新入社員の困惑を受け止めて、全社員・全スタッフが総出で、その行いを即座に・こっそりと改めてくれた、そういう会社としての「善性」はジブリの良心そのものだな、というのは認めざるを得ない。そういう「気持ちの良い」会社でもあったことは、悪口を言いがちなぼくでも強調しすぎることはないと思う。

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