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ジブリの烙印(東小金井村塾編その10~”完璧”な作文)

その年は残暑がきびしかったが雨が断続的に降るようになるにつれ、色合いを変えるように秋らしくなってきた。
塾も残り三か月となった頃、久しぶりに課題が出された。

課題は、モノクロ映画時代に喜劇俳優・演出家として世界に名の聞こえたチャップリンがプロットのスケッチだけ残した文章を、塾で皆で読み合わせ、二週間後に完成形のシナリオとしてそれぞれ提出するというものだった。

与えられたプロットを読んでいくとおおよその筋としては以下のようなものだった。

スペイン内戦下ファシストの陣営に捕らえられたひとりのレジスタンスが処刑の時を待っている。
この囚人に頻繁に会いに来る将校がいた。
ふたりは現在こそ政治的立場で対立していたが、昔の級友だった。
将校はなんとか減刑か恩赦がくだらないかと奔走している。
しかしついに処刑の日が来た。
銃殺隊の号令をくだすのは皮肉なことにこの将校だった。
構えの号令をやけくそに絶叫したとき、伝令が減刑嘆願の訴えがかなったと伝えてくる。
将校は止めの号令を絶叫するが、叫びの調子で銃殺の合図ととり違え、処刑は果たされてしまう。

ぼくはこの課題に乗り気ではなかった。
与えられたプロットの内容も感心しなかったし、提出するシナリオが高畑さんにどのように料理されるかも大体見当がついてきたので、面白みを感じなかった。
第一、いくら考えても、それは面白いものになるとは到底思えず、筆が進まなかった。

二週間後、ぼく以外全員がそろってきちんと課題を提出していた。
順繰りにひとりひとり、自分の書いてきたシナリオを読み上げる形で発表された。
それぞれのシナリオは各人にコピーで渡されていて、読み上げるのを聞きながら手許のコピーに目を追った。
ひとりひとりのシナリオにはそれぞれ、独自の工夫やアレンジが加えられていて、ぼくは素直に感心した。
高畑さんはひとりひとりの発表の後で丁寧な講評を加えた。

各人が読み上げる時間も長かったのでこの発表会と講評は二週にわたった。
その間にぼくは課題を提出することが求められ、ひとりひとりの成果が読み上げられていくのをただばつが悪く聞いていた。

しかしぼくはいまさらに、シナリオを書き上げることに躊躇があった。

原案プロットが抱えていたいくつかの難点に対しそれぞれの塾生が巧みなアイデアでそれぞれに解決していて、それを踏まえたものかどうか、ぼくは悩ましかった。
後出しじゃんけんの立場に立ってしまった者として、ただでアイデアをもらうのは安易な気がするし、かと言ってせっかくのアイデアを無視するのも芸がなかった。

しかしそれだけでなく、ぼくに書くことを促す決定的な何かが足りなかった。
提出課題の締切が刻々と迫り憂鬱だった。

締め切り直前になってようやく、ぼくはアイデアを思いついた。
後出しじゃんけんなりの課題の提出の仕方だった。

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