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どうこう、したとて~ジブリ私記(5)

 この『私記』を書くまでには、実にずいぶん時間が必要だった。せめて連載の序盤くらいはしっかり段取りを立てようと、あれこれ考えていたのです。
 この『私記』を書くにあたってはいくつか動機があったのだけれど、そのひとつに、ツイッターでアップした例のジブリの給与明細のことが念頭にあったのです。

 ふとある日、気づくのです。私がこのツイッター(X)上でその存在を知られているのは、本領のアニメ論考ではなく、『給与明細を晒したひと』という認識なのだと。そしてあらためていまごろ気づくのは、”あれ”を晒したその『意図』が全然伝わっていないぞ、と。
 これは問題だ、といまごろあわてて、その『誤解』を修正する必要を覚えて、以前から書きたかったジブリの回想録に、その『誤解の修正』のもくろみも込みで入れたらどうかと考えたのでした。
 それを思ったのがだいたい半年前、今年の新春ころでした。

 もうひとつ、給与明細の『誤解』を修正しておく必要があると思ったのには、ジブリの雑誌『熱風』で一年間連載した論考のこともありました。私はあの連載を書籍の形にして残しておきたかったのですが、たとえばあちこちの出版社に『本にしておくれ』とお願いしたところで、その出版社の編集者は私のことをネットで調べたら、まっさきに登場するのがあの給与明細のことをとりあげたゴシップヤフーニュースになるわけです。そうなれば信用ががた落ちになるだろうな、出版の検討も棚上げになるだろうなと思い、『誤解の修正・弁解』としても私記を書いておいた方がいいのじゃないかと、そんなことも思って私記のことを考え始めていたのでした。

 そんないくつもの心算が重なって、半年前からこの私記の構想を立てようとしたのですが、うまく頭がはたらかないのです。何度も違うアプローチを立てて書き始めてみたのものの、いずれ途中で筆が止まってしまう。
 この半年間というもの、いっこうに進捗がはかどらないこの頓挫は、私にとってけっこうなフラストレーションになっていたのでした。

 そんな行き詰まりを打破しようとして、文章教室に通い始めようとまで思ったのです。カルチャーセンターの文章教室の生徒として参加して、このジブリの回想録を読んでもらい、生徒さんから意見をもらい、講師の先生から添削してもらうのです。
 教室への参加を申し込み、第一回目の講義が近づきました。私は義務的なつもりで何気なく書いてみたのでした。すると始まりの文章が意外とそろっと書けたのでした。
 それがこの一回目の私記だったわけです。
 いざ私記の始まりを書いてみれば、その文章の末尾にジブリの『労働』を問いたい、と書きつけていて、「ああ、”これ”こそ、自分が『私記』を書き出す原動力だったんだな」と原点に立ち戻る思いで気づいたのでした。
 きれいごとではなく、あの暗い『労働』を書く、それこそ私の書く原動力であり、その”怒り”が実際に勃発して、ぐわりと沸き起こる”書く衝動”に突き動かされるたび、何度となくいまさらに、そうだそうだ、これを待っていたんだと思う。
 それは、ジブリという存在が私の中で『きれいごと』には決してならない存在だと思い知ることでした。私はそのことを忘れ、この半年間、なんとか「それ」を「きれいごと」にしようとしてうまくいかなかったのでした。わたしのなかで「それ」はまだくすぶりつづけるものだったのです。
 そのくすぶりに気づいたとき、給与明細がもたらした、有象無象の誤解を超えて、または論文の書籍化といった『為にする』もくろみもふっ飛び、どんな思惑を超えてでもゆずれない『こうであるしかない』ジブリへの極私的なこだわりへと『回帰』したのでした。

 どうこう小細工したとして、そんなものはいずれ瓦解する。『自分はこうにしか書けない』のだと原点を確認できて、私は半年間の逡巡を突き破ってこの『私記』を書き出すことが出来たのでした。

 それでもこの半年間、この私記を構想するにあたってぐるぐると考えていて、『給与明細事件』で学んだことはありました。
 つまり”ふたつのこと”だけは書いてはならないな、と肝に銘じたのでした。このふたつのことだけは書くつもりがないので、この際、そのことをちらと触れておくと、スタジオの隅でアイドルにガンつけられたことがひとつ、もうひとつはある人がある人にことづけたラブレターの件だ。
 このふたつのエピソードは、それ自体大したことではないけれど、マスメディアで(ネットメディアも含む)面白おかしく『増幅』されて書き立てられる可能性があるので、このふたつの事件は『給与明細ヤフーゴシップニュース』の二の舞にもならないためにも、封印することにします。

 ついでに書いておくと、あのゴシップニュースを書いた記者と記事発表後にビデオ通話で話す機会があったが、あの記事は『功名心のため』に書いたことをその記者は認めた。
「あなただって、そうでしょう(功名心のためにあんな明細の画像を投稿したのでしょ)?」とその記者は問い返してきたので、絶句してしまった。
『ああ、そんな下心で”あれ”をしたと思ってるやつがいて、そいつがあんな記事を書いたんだ』といまさら取り返しのつかない思いがしたのでした。
 あの給与明細をどんな思いで投稿したか、その心境を端的に説明するのは難しい。その輪郭を描くことがこの『私記』全体のもくろみであるのだが。

 ただ、ラブレターの一件は、ジブリに関心のあるひとなら誰でも興がそそられるエピソードではある。それを確かに目撃し、それを確かに記憶しているのは、おそらく私ひとりだと思う。ある作品の見立ての、あるひとつのつっかえ棒が外れるような、ちょっとした話である。
 私がもし将来、メディアの増幅装置にも”勝てる”くらいな立場になったのなら、いつか”証言として”書き留めておきたい出来事ではあるのです。

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