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【耳をすませば~『アニメてにをは』で前夜祭】

【01】こんばんは。『アニメてにをは』です。
明日は金曜ロードショーで近藤喜文監督『耳をすませば』の放映ですね(宮崎駿さんはこの作品では脚本、絵コンテ、部分演出を担当)。

でもこの作品は【てにをは】したら、興が削がれるかなあ……

甘酸っぱい話に、演出がどうの、技術がどうのってのも、野暮じゃないですか。

だから今回は少しだけ。

この場面、道が『背景動画』=セル画で出来ていますね……
背景画で道を描いたら、道を動かせないので、セル画にしてしまったというわけで……


【02】ここは、裏道階段を昇っていくんですが、そうすると雫の衣服の色が変わって、陰の中に入ったとわかります。


【03】色が変わりましたね。明日、本編で観ましたら、すうっと色が変化して見えると思います。

これは色がAパターンと色がBパターンのふたつの雫(ヒロインの名です)を2回、フィルムに焼き付けることで出来る、二重露光の効果です。

アニメ業界の専門用語で『ダブラし』という手法です。
また機会をみつけて詳しくご紹介したいと思います。


【04】この2箇所の変化は本編で確認してください。
としか言いようがないほど、動きとともに確認しないとその変化の加減がわかりません。

本編を観れば、背後の両側の壁がどんどんせばまっていって、裏道の狭さが強調されているのがわかると思います。

これは壁の背景画部分だけ別に描かれていて、両側の壁を少しずつ位置をずらして撮影しているので、あいだが狭くなっていくのです。

この技術的解説も詳しくはまたの機会にしましょう。
今回はただ、本編でこの壁のマジックに驚いてくださることがポイントです。


【05】この場面は『セル画と背景画の協力関係』を見ましょう。

足や紙袋が、手前の道に接する部分に、横にすうっと『実線=トレース線』があるのが見えるでしょうか?

この線は「ここに沿って足と道とが重なるので、作画さんと美術さんはお互いに線を越えないように(それぞれ別工程で)絵を描いてくださいね」という目印です。

本当は観客にわからないよう、処理しないといけないんですけどね。
ただ今回は「仕掛け」がわかって見えて、面白いケースになりました。

次のカットと、「実線」がある部分を見比べてください。


【06】道をのぼって足が全部現れました。

すると、セル画と背景画がお互い干渉しあう危険性もなくなったので、目印の「実線」が消えましたよね。

こういう、セルと背景が干渉する危険を回避する目印の線を「組み線」もしくは「組み」と言います。


【07】雫が裏道から表の坂道に出て、地球屋のネコと並行して走っています。

ふたつの運動が並行している…『運動が複数に交錯』しています。


【08】でも、こう言っては何ですが、あまり『運動の複数性』が表現されている場面に見えないんですよね。


【09】こうやってネコと雫が運動として交錯しているのに、あまり運動がそれぞれに起こっているダイナミズムが感じられない。

これはやっぱり、絵コンテは宮崎駿さんが描いたのに、演出したのが近藤喜文さんなので、監督としての『見せどころ・力の入れどころ』が微妙に違うからなんでしょうね。


【10】ネコとヒロインの雫の二者の運動に加えて、ここで飼い犬という3番目の運動の存在が描かれています。

絵コンテを描いた宮崎さんにしてみれば(無意識にせよ)複数の運動が混ざりあう愉快さを作家的本能で描き込んでいると思うのです。

いままでわたし=『アニメてにをは』は、ツイッターを主舞台にこの「てにをは」作業をやってきて、何度かこういうアニメ作品のカット分析をしてきたんですが、よく考えるといままで宮崎作品ばかり、とりあつかってきたので、こういう『絵コンテ=宮崎/監督=近藤喜文』というケースになると、ちょいと事情が違うのだと途中で気づいた次第です。

また近日、ツイッターで展開した『てにをは分析』を、このnote上でもお見せできればと思います。

ツイッターでのわたしのフォロワーの皆さんは、『宮崎アニメと言えば、運動の複数性』と言えば、うんうんとうなずいてくださるはず。
このnoteでも『宮崎アニメ=運動が複数に交錯するアニメ』という認識をもってくださるひとが少しは現れてくれるのではと期待しています。

ということで、今回はちょっと勝手が違う、近藤監督の演出方針に戸惑いながら、『耳をすませば・てにをは』を終わりにしたいと思います。

ありがとうございました。


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