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小説「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」第5巻 周の両親と「娘」について

TVアニメ「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」が第12話で一区切りとなり、小説で彼らのその後を読んでいたとき、非常に気になる記述を見つけました。第5巻第12話にあります。

体の事情でもう子供を授かれない母が娘を欲しがる気持ちも分かるので(後略)

「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」第5巻第12話より

基本、本作は周の語りで綴られるため、この記述も彼が語ったことです。

そして、両親の年齢についての記述はまた別のところで30代後半と語られています。30代といえば、特に現代においては初産を迎えてもおかしくなく、40代(特に前半)でも子供を授かることだって全く珍しいことでもありません。
それが、周ですら彼らにもう子どもができないこと、それが母の身体の事情によることを知っているわけです。

さらに言えば、修斗と志保子は新居を若くして建てるとき、子どもが複数人いることを想定して部屋を作っていたことも分かるため、娘が欲しかったこと、その思いに反して周しか子どもがいないことが、この二人の関係を薄っぺらい建前だけのものではなく、また周が見ているだけの絆でもないということを語っています。

子どもが欲しくとも……

このことをあっさりと話題にしてするりと語り、彼がそのことに引っかかることもないので、もしかしたらこの話題を気に留める読者もそれほど多くないのかもしれません。

それでも、ここでの語りは無視できるものではありません。

ここに、「今では」仲睦まじい修斗と志保子に、語られていない過去のエピソードがあることが示唆されています。

結婚の後子どもが一人もできない場合でも周囲の目は厳しく冷たくなる傾向がありますが、一人目ができたら二人目も、という「世間の目」もあります。

そんな中、志保子は自分の身体に何かが起きたか、何らかの原因があったか、子どもを産めない身体になった。もはや子どもを今後授かることはない、という事実が2人に突きつけられたわけです。

だからこそ2人の絆は強くなった?

志保子と修斗にとって、このことを受け入れることは非常に大変だったと推測されます。一人生まれているだけでもいいではないか、というのは二人目の子どもを切望していた彼らには届かない慰めの言葉、いや、プレッシャーだったでしょう。それを乗り切る過程で、二人の絆はさらに強くなったのかもしれません。

つまり、周が見ていないところで、修斗と志保子は、ともすれば夫婦関係の危機にすらなり得る事態を経験し、それを乗り越えてきたのだと推測できます。
もしかしたらそのようにしてできたさらに強く固くしなやかな「夫婦の絆」「恋人の絆」を作ってきた、ということも想像できるほどです。

周は既にこのことを知っています。
真昼には、二人はどのようにこの話を伝えるのでしょうか。
ただ単に「仲がいい」「おしどり夫婦」というだけでない両親の絆と子どもへの愛情があることを、真昼はどのようにとらえるでしょうか。

後々、周と真昼の前に現れる一つの事案として、積み残されている課題です。

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