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音と音楽:縄文時代にも音楽はありましたかと言う質問から書いてみた (ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん)

ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん
「アニマルSDGs x うた」。EMI=Education(教育) x Music(音楽) x Intractive(対話)を提唱する音楽プロデューサーの稲葉瀧文氏。アニマルSDGs編集部では、稲葉氏のブログ「恩学」より、自然のこと、動物との関係のこと、人間だからできること、などをテーマに発信してきます。

 音は自然界の音と古代人が二足歩行になってから、手を叩き、石を叩き、落ちている木を叩き、手当たり次第に叩き回って、音を出していたのでは無いかと推測される。それは襲ってくる動物から身を守るためのものであり、神への祈りでもあり、歓迎の儀式でもあったかと思われる。現代でもアフリカの民族の中には同じ行動をする種族もいる。

 中国雲南省の山の民族は歌いながら求愛行動をする部族がいるという事です。
山を隔てて若い二人が歌いながら愛を告白する姿は、まるで鳥のようであると言われている。
 スペインの原始人はアルタミラ洞窟の中で火を焚き朦朧とした中で壁画に没頭して描いていたとされている。壁画が書き終わるまで、穴の入り口では物を叩いて音を出し大声で叫んでいたのでは無いかと推測される。

 楽器の原型はすでにギリシャ時代からあり音楽として発展したのは中国が発祥では無いかと思われる節がある。音楽の文化でわかっていることは、BC.4000年ころに、西南アジアに住んでいたスメル人によって作られたといわれている。
 ペルシャ湾に近いウルという町からは、黄金をちりばめた楽器や、楽人が演奏している図らしい彫り物なども発見されている。西南アジアの文化は、エジプト・アッシリア・バビロニアへと広がり、さらにアラビア・インド・中国へと伝わっていった。

 また原始時代は今に残る遺跡や文字等ができる以前の時代であり、比較的小さな集団で地域に合った生活を営んでいて、音楽においても(楽譜)というものは無く、その場で即興的につくられたものだったと思われる。

 生活様式と音楽との結びつきは密接であり、(協同)で作業する人々は合唱や合奏が上手で、あらゆる機会に音楽したと思われ、子守歌や愛の歌、喜びや悲しみを歌ったもの、神をあがめた歌や労働のときの歌があったと考えられる。また、古代以前の人々には音楽に魔的な力があると考えられ、呪術や医療などにも音楽が使われていた。

 楽器についても当然使われていただろうと考えられる。草、木、土、石、骨など自然素材を利用し、簡単な(笛)や(打)楽器が用いられたと思われる。 
古代文明は紀元前3000年頃から始まり、メソポタミアや(エジプト)の遺跡には楽器を演奏している様子を描いたものが多くあり、そのことから、かなり進んだ音楽をもち、公私にわたり音楽が重要な役割をはたしていたことがわかる。
また、そうした音楽に必要な楽器も、この時代にはある程度の形を整え、機能的にも十分に使用に耐えるものになっていた。

 日本では、楽器には、東洋独特のものがあり、曲や音の扱い方などにも特徴がある。まず縄文時代 BC.5000年では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して作られたものがあった。声をあげるのがおもで、そのあいまにごく簡素な楽器が奏でられたのだった。

 今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴を双口土器及び象形土製品等がある。ついで弥生時代 BC.200年に稲と金属使用とともに農耕社会が形成され、収穫期にはシャーマニズム信仰による儀式が行われ、その儀式に付随して簡単な歌謡や舞踊がはじまった。始めは即興的なものであったとされている。

 この歌謡の形が芸能として後世まで伝わったと考えられている。その楽器のうちこんにち出土しているものは陶、琴、銅鐸である。それからも音楽は依然として歌と舞が中心だったが出土する楽器は増え、笛、鈴、琴、太鼓、鼓、四ッ竹、それと共に歌いながら踊る楽人の集団がすでにそのころ発生していた可能性があるといわれている。 

 また「うた」の音域はせいぜい5度以内で、リズムは2拍・4拍を楽器できざむか無拍節リズムといわれる自由リズムで、音の高低だけでメリスマティック(1つのシラブルについていろいろと異なった高さの音を用いて長く延ばして歌っていく、このような歌い方は、今日に至るまで邦楽のごく一般的な歌唱である)に歌ったと思われている。 

 「うた」と「ことば」は互いに密接に関連して切り離して考えられないもので、
江戸時代が終わるまで音楽を楽しむということは、歌を歌うことだった。
 音律とは、音律の歴史をみると、古代ギリシャまでさかのぼる。ピタゴラスが活躍した時代であった。古代ギリシャ時代にはこんにち私たちが使っている音楽理論の基礎の多くが、ピタゴラスたちによってすでに開拓されていた。

 音律もそうである。ピタゴラスが作った音律は「ピタゴラス音律」と呼ばれて、古代ギリシャだけでなく、その後も単旋律の旋律を美しく響かせる音律として、グレゴリオ聖歌が中心的な存在であったヨーロッパ中世から13世紀にいたるまで幅広く支持されていたといわれている。彼はモノコードという楽器で弦の長さを比較して、音がどのように鳴り響いているのかを数学的に解明しようとした。そして、弦の長さを半分にすると音は1オクターブ高くなることを発見し、さらに弦の長さを3分の2にすると「ソ」の音が出ることを発見した。また「ソ」の音の弦の長さを3分の2にして「レ」というふうにして音を作っていき独自で音律を作った。音の起源より

 今回の文章は学生から縄文時代にも音楽はありましたかと言う質問から書いてみました。先日、縄文時代の研究をしている会でも同じような質問があり、私は持論として絶対ありましたと言い切りました。真偽は定かではありませんが多少なりとも文献も残っています。

 縄文土器の波型模様、三内丸山遺跡のやぐら、明らかに酒造りをした壺も見つかり、神への祈りと共に収穫を祝う祭りが執り行われていた。そこには絶対音楽が無くては成り立たないと言いました。

おそらく縄文土器の波型は音楽を聴きながら、音符の様に作られたのではないかと推測します。縄文人はうめき声のような声を発して歌も歌っていたと思います。

そして踊りを踊るダンサー(巫女)もその場を盛り上げたと思います。
古代史を想像すると話は尽きなくなりますね。笑い

音と音楽、未来はどのような進化があるのだろうか?
AIが作り出す楽曲がヒットを飛ばしている様子が目に浮かびます。

稲葉瀧文 (恩学 2024年5月28日より)

次のコラム「全てが逆なのです」ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん)

恩学とは 
音楽プロデューサーとして生きてきた中で、常に人の心を見つめながら、感情の発露を気に留めてきました。時代によって移り変わる人としての価値観、その価値観によって変わる感情。自分から作り出す精神的な強さや脆さ、他人から影響を受ける感情の起伏。喜怒哀楽は個人の中にあり、それぞれが喜怒哀楽のガラスの針を持っているのです。些細な事で喜んだり悲しんだりするのは、そのガラスの針が左右に振れるからです。その為に先人達は仏教書や哲学書を読み、切磋琢磨しながら過酷であり又遊楽な人生を過ごしてきたわけです。
 日本人としての心の有り方を調べていく内に「恩」という文字に強く惹かれました。人として「生老病死」の一生です。生まれて、老いて、病気になって、死んでいく中で、他人から受けた思いやり、やさしさ、心づくしが、どれ程勇気付けられた事か、誰でもが経験している事です。
 その受けた「恩」を返さなければなりません。私自身の経験から出た「恩返し」の話や本で読んだ話、人から聞いた話、それらを文字にして書き連ねてみようと思います。徒然なるままに稚拙な文章ではありますが、ご一緒して頂けると嬉しいと思います。
2010年2月14日

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