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英語の2つの/l/音(明るいLと暗いL)の話

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2022/9/13 陸

側面音/l/

 英語を含め/l/という音を持つ言語は多い(加藤・安藤2016, p.88)。
 この子音は標準的には「舌先を上歯裏付近の歯茎につけ、舌の横から呼気(吐く息)を流し出す」という動作で作られる(ibid.)。

 舌先を上歯裏の歯茎につけた上で舌の左右幅を収縮させると、口の中の正中線上では空気の流れが遮られるが、その横の側面(舌の両側または片側)には普通広めの隙間が残り、呼気はそこから自然に流れ出る(今仲2013, pp.95-107)。

 この「中央部の閉鎖と側面の広い開放」を組み合わせた空間の側面性が生み出す気流の響きが主な/l/音の特徴である。

 しかしこのように独特な調音動作の音でありながら世界的に広く使われているのはなぜだろうか?
 そうした問いをきっかけに書き始めたのがこの記事である。


流音

 /l/系と/r/系の子音を大まかにまとめて「流音」といい、流音を意味の区別に使う言語の中で/l/と/r/の区別がない日本語などを単式流音言語、区別があるイタリア語や英語などを複式流音言語という(cf. 松本2006, pp.321-360)。
 言語によっては/l/系や/r/系の中に2種類以上の下位区分があるがこの分類には影響しない(ibid.)。

 /r/の発音には様々なタイプがあるが、/l/との関係を踏まえると、複式流音言語の話者はだいたい「側面性を持つ/l/と持たない/r/」などの形で2系統の流音を使い分けているといっていいだろう。

 詳細は複雑なので今回は省略するが、音波を物理的に解析すると/l/系では「第3フォルマント」という成分(母音や特定の子音を構成する、低い順から数えて3番目の周波数のピーク)が高く、/r/系では低く現れることが知られており(cf. 堀田2013/10/1, etc.)、音響面や聞き手の知覚にはそれが関与していると考えられている。

 日本語の流音であるラ行子音は変異の自由度が高く個人差もある。
 一般的には/r/系に近いことが比較的多いが/l/系に近く発音されることも珍しくないといわれる(荒井2013, pp.349-352; 加藤・安藤2016, pp.82-93, etc.)。

 時に部分的な/l/系の側面性と/r/的な動作を備えた中間的な音にもなるといわれるがそれについては別の機会に述べたい。
 (そうした流音全般や/r/音の性質と多様性については流音の記事も参照)。

 英語の/r/は通例イタリア語などの舌を震わせる/r/とは異なり世界標準の音ではないため(小林正2005, pp.149-169, etc.; 後述)、「日本語のラ行子音は/l/と/r/のどちらに近いのか」といった比較の基準にはあまり適さない。

 そして日本語話者の多くが他言語の/l/と/r/の区別のために少なからぬ努力を払い、専門家でなくても流音の性質に高い潜在的関心を持っているのは周知の通りである。


明るいL

 ところで英語の/l/には大きく分けて2通りの発音があるといわれる(今仲2013, p.95)。

 ひとつは「明るいL」(light L, clear L)と呼ばれる「世界標準の/l/音」(加藤・安藤2016, pp.87-89)で、lifeのlのように直後に母音が続くときに使われる(ibid.; 今仲2013, p.96)。

 /l/音として一般にイメージされるのはこの音で、冒頭の解説もこれを想定して行ったものである。
 後述の暗いLより響きが"明るい"印象があるとされる。

 音声学的には歯茎側面接近音[l]という。
 舌先と「歯茎」(上前歯裏付近の歯茎)という部位と「側面接近」(舌による口腔中央の閉鎖と側面部の広めの開放)という動作で作られる音の意である(加藤・安藤2016, pp.87-89; 詳細後記)。

 Vtuberアニマはこの動画で英語の母音前の/l/にlight Lを使っている。

アニマの部屋 ポケモン名のつくりかた(ウインディ)
lunch, lithe, slimy, slithy, butterfly, Growlithe, の/l/にlight Lを使用
growlの/l/のみ次に挙げるdark L


暗いL

 もうひとつは暗いL(dark L)と呼ばれる音で、milkやfeelのlのように直後に母音が続かないときに使われる(ibid.; 今仲2013, p.96)。

 明るいLに比べて「暗くこもったような響き」と表現され、母音の[u]や[o]に近く感じられることも少なくない。

 時に「milkの発音はミルクよりミウクに近い」といわれることがあるのもこうした箇所に"dark L"が現れるためである。
 (もちろんどちらも近似表記なので通常同一ではない)。

 音声学では軟口蓋化歯茎側面接近音といい、[l]に「軟口蓋化」記号を加えて[lˠ]と書かれるほか「軟口蓋化または咽頭化」の記号をつけて[ɫ]とも表記される(加藤・安藤2016, pp.87-89)。英語では後者の使用例が多い。

 その名の通りこの音には後述の(母音[u]や[o]の調音動作によく似た)"軟口蓋化"という現象のの関与がある(ibid.; 加藤・安藤2016, pp.87-89; 中島2017, p.77-79)。
 舌の根元を喉の壁(咽頭壁)に近づけ狭める"咽頭化"もこれと似た効果を持つ(加藤・安藤2016, pp.59-60)。

明暗の/l/の音声サンプル
[l] 歯茎側面接近音 (明るいL, alveolar lateral approximant)
[ɫ] 軟口蓋化歯茎側面接近音 (暗いL, velarized alveolar lateral approximant)
Wikimediaより

 アニマはこの動画で英語の後続母音のない/l/に"dark L"を使っている。

アニマの部屋 ポケモン名のつくりかた(キュウコン)
tell, tale(s), tail(s), Ninetales, Vulpixの/l/にdark Lを使用
ラテン語のvulpēsのlもdark Lになるためそのように発音


音素と音声

 このように英語の/l/の発音は大まかに2通りあるが両者に意味の違いがあるわけではない。
 英語の言語体系上は「同一音/l/の範囲内」と見なされる。
 これは主に最小対(ミニマルペア)という概念によって説明できる(cf. 斎藤・田口・西村2015, pp.27, 45)。

 たとえば英語にはlightとrightのようにl音とr音の違いだけで意味が変わるペア(lとrの最小対)があるため、この2音には意味の区別があるといえる。
 最小対は別々の語の区別だけでなく同一語の変化に利用されていることもある(e.g. build⇔builtの語末子音)。

 しかし[l](light L)と[ɫ](dark L)の間にはそうした組み合わせがなく、音の近似性や分布条件も踏まえると、概念上は同一音/l/のバリエーションに留まっていると分析されるのである。

 個別言語(ここでは英語)での「概念上の音の単位」(音素)としては/l/という1つの存在であり、その物理的実体(音声)として[l]や[ɫ]といった位置条件による変異形(条件異音)がある――というのが言語学的な説明になる。

 言語学では通常、音素は/ /、音声は[ ]で囲んで表記される。
 個別言語の体系上は音素が意味解釈の基本で音声はその素材といえる。

 また音素と違って音声の差は連続的なので究極的には/l/をもっと細かく分けることも不可能ではない(今仲2013, pp.95-107)。
 英語の/l/が普段「明るいLと暗いLの2種類」と評価されているのは分析の方針や意義との兼ね合いによる便宜的なものだと考えてほしい。
 (必要があればもっと細かく分けたりまとめて扱ったり明暗とは別の観点から分類したりすることもある)。


英語の/l/

 ともあれ多くの英語話者は無意識的にこの2種の/l/音の使い分けを行っているので、特に直後に母音が来ないときに"dark L"を巧みに使うと英語的な響きになるとはいえる。
 語学的に注目されることがあるのもそのためだろう。

 とはいえ英語において明るいLと暗いLは概念上は同じ音、つまり多少違いがあっても同じ音として扱われる「同一音/l/の範囲内の揺れ」なので、/l/と/r/の区別などに比べ習得の優先順位は高いわけではない(今仲2013, pp.95-107)。

 初心者はむしろすべての位置で明るい/l/を使ったほうがよいという解釈もあり(ibid.)、あらゆる位置でどちらを使っても問題ないとしたりする指導法も多い(清水2011, pp.50)。

 しかしこの英語の「2つの/l/」の性質や現れ方からは様々な興味深い事実が浮かび上がってくる。

 こうした/l/の揺れを示す言語は英語だけではなく、それが種々の言語変化に繋がってきた事例も少なくない(暗いLによる言語変化の諸相についてはラテン語の回などで詳しく述べたい)。

 何より明るいLと暗いLはその呼び名の通り一対の対照的存在として語られる音であり、片方を知ることはもう片方を知ることにも繋がるのである。

 [l]音(およびその近似音[ɫ])とは本質的にどのような音なのだろうか。
 なぜ暗いLが[u]のように聞こえ、直後に母音が来ない環境で使われるのか。明るいLとはどのように違う音なのか。

 そうした問いへの答えは/l/音の本質だけでなく、間接的に流音全体や他の様々な音への深い理解にも繋がっていくのである。

 今回はそんな英語の/l/音の話をしていきたい。


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