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自分の道を歩む選択:夫婦別姓事実婚が教えてくれたこと


#あの選択をしたから


30年前の誕生日が近づく中、私は運命の分かれ道に立っていました。
その選択が自分の未来を形作り、自分を支えることになるなんて、当時は想像すらしていませんでした。

彼女と一緒にどこに住むのがいいかが、
結婚という言葉より先に頭をよぎっていました。
好きなもの同士が一緒に暮らすそれ以上でもそれ以下でもない自然体がいいと。
思い返せばプロポーズより先に、ドライブしながら「どこに住もうかね」と聞いていた。
そのことが影響しているわけではないと思うけど、私は結婚をするのに婚姻届を提出せず、夫婦別姓の事実婚を選びました。
華やかな結婚式は避け、彼女の実家で、お互いの両親ときょうだいだけのアットホームなウェディングパーティを開きました。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(民法第24条)
この理念が私たちの選択を支えました。
結婚の在り方や、夫婦の協力と平等な権利。
これらが、私たちの決断を後押ししてくれたのです。(夫婦別姓では婚姻届受付けてくれません)

やがて、ふたりの娘たちを授かりました。
子どもが生まれれば婚姻届を提出するんだろうという人も少なくありませんでした。
しかし、私たちは胎児認知届(出生のまえに認知して戸籍に実子である記載ができます)を提出し、夫婦別姓の事実婚を継続しました。
これが後に、ある取材の対象となり、新聞記事になったこともありました。

娘たちが成長し、高校生になった頃、新聞記者から「両親の名字が違うことについて、どう感じますか?」とこどもの立場を聞かれました。
娘たちは「当たり前のことだから、特に気にもしていない、というかそんなこと考えたこともない」と答えたのです。
この言葉に、私は胸をなでおろしました。
私たちの夫婦別姓事実婚の選択を裏付け、家族の在り方を改めて感じさせてくれました。

家族とは、名字や血縁などや形式に縛られず、お互いの存在を共有する絆なんだろうなと思うのです。
ちょっと大袈裟にいうなら、私たちの選択が、家族の真髄に触れることを教えてくれたのです。その当たり前のことを、私たちは再び実感しました。

私は世の中の大勢に惑わされることなく、自分の思いに従って、新たな選択に向き合う勇気を持つことが必要だと感じました。
自分がこの選択をしたからこそ、自然体でいることの尊さを再認識し、心に新たな光を灯すことができました。
自分の価値観を貫くこと(そこまで頑ななことではないけど)の重要性を、深く理解するようになったのです。


世の中、人との関わりが薄れがち、あなたに繋がれて感謝です。