「思春期」を見守る意味

先日とある先生とこんな話をした。

「あの分野にいる人は、子どもの荒れる気持ちを情報としか捉えないからね。それが嫌になって辞めたんですよ。」

「確かに、それは教育とは違いますね。」

この先生は、過去に思春期の情緒発達を研究されていた。
その時の話をしてくれたのだ。



思春期の子どもと暮らしている方は、
容易に想像できるかもしれないが、
思春期の子どもは色々と激しい(笑)


言葉遣いが悪くなったり、
明らかに失敗することを意固地になってやってみたり、
目標と現実の差にイラついて八つ当たりをしてきたり。


友達や先生に対しては
絶対に見せない態度を取ったりするものだ。



そんな荒波(& 人によっては長期戦)の
思春期を過ごす我が子をみていると、
こんな感情になることも。

自分が間違っていたのでは?

子どもと接するとつい
こんな不安が浮かびやすい。



しかし、思春期は激しい、と言っただけで、
こんなにも心の中まで詳細に
想像ができてしまうのはなぜだろう。

我々大人にも同じ時代があったからだ。

思春期は、育て方でもなく、性格でもなく、病でもない。
ただ、そこにあるフェーズなのだ。



先生の話は続く。

「結局のところ、一人一人の不安に寄り添うしかないんですよね。」


教えることでもなく、励ますことでもなく、
一つの時代が過ぎ去るのをじっと待つ。

子どもは静寂の中に答えを探す時間を生み出す。
大人として自己の問題に向き合う練習だ。



考える時間を与える優しさを知っている子どもは、
いつか誰かにそうしてあげられるのだろう。

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