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遥かなる邪馬台国(妻木晩田遺跡)の白日夢

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 弥生時代の佐賀県の吉野ケ里遺跡の3倍以上の規模という圧倒的な「妻木晩田遺跡」。大山町から米子市淀江町にまたがる巨大遺跡(はるかなる邪馬台国)です。

 日本の歴史学会のドンたちは、歴史年代を操作(年輪法という奈良時代以前には通用しない方法での年代改ざん)しても、奈良・纏向遺跡(すみませんね、汗)を邪馬台国としなければ、自分たちの過去の論文や経歴が崩壊する危機に直面(たぶん、汗)したのです。

 闇の圧力により、遺跡の大半(90%)が手つかずのまま放置され、発掘は「あまり重要じゃない場所から」という(たぶん、汗)手順を踏んだにもかかわらず、今回も歴史的大発見につながつてしまった「妻木晩田遺跡」。
 なんと、遺跡最大の規模の仙谷8号墓が発掘され、木棺ではなく、初の石棺で、重要な権力者が埋葬されていた可能性が。
 築造年代は古墳時代初頭で、これでこの妻木晩田遺跡は邪馬台国(1世紀から3世紀)時代とぴったり符号する規模が突出した巨大遺跡と判明したのです。

 それと、今の「妻木晩田遺跡」と言われている場所は傍流ではないのか?という疑問。
 淀江平野(昔は干潟で海)を囲む山々で、南に不思議な高原(ゴルフ場跡地に太陽光パネルの発電所建設)があって、妻木晩田の数倍の面積で標高は同等で、表面はマッ平の高原 という絶好の居住環境なのに、一切無視されてるという不思議(汗)。それは、西の壺瓶山も古墳だらけなのに、無視されてるという不思議(汗)。

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 しかも、この遺跡の人々はこの直後に忽然と「大和に移住?」し姿を消します。大和出雲の神式、神社を継承

 また、妻木晩田もそうですが、出雲王国(邪馬台国)の遺跡に多くみられる「四隅突出型墳丘墓」は、大陸の高句麗(チュモン大帝)の方式で大陸からの高貴な一族の渡来を物語っていますね。

 「四隅突出型墳丘墓」といえば、「出雲の王家の谷」出雲市大津町ですね。50m四方もの巨大墳墓群。
 日本ではタブーがあるのか、「山陰・北陸地方独自の」というくくりが必要な? みたいですが、近視眼的すぎますね。百済や新羅から伝わった高句麗の墳墓様式ですね。
 大和にまだ古墳がない弥生中期に、出雲では大規模な四隅突出型古墳が築かれていた。という事実が「日本書紀や古事記」の国譲りを証明していますね。


 それでも、闇の勢力の腐敗はとどまるところをしらず、この先、妻木晩田遺跡の発掘が進展し
 「ヒミコ女王とイヨのミイラが発見され、しかも、ヒミコが中国・隋の国書と金印、鏡を抱きかかえていた」としても、なかったことにして闇に葬られるのは確実(汗)

 とまぁ、歴史的大発見の続く妻木晩田遺跡を見ての白日夢を見たわけですけどね(汗)

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