少女「車内」に花束を

 車内が死んでから、そろそろ一年と半年にもなる。

 ずっと現実感がない、としか言い様のない、常に肉体を薄い皮膜のような何かが覆っていて、膜越しに外界と触れ合っている様な不定愁訴に侵されていた。しかし現実も何も、知覚あるすべての存在は夢を見ていて、それが個々に連なった繭のような構造の最中、互いが互いと夢を少しずつ共有出来ているような気になっているのを現実と呼んでいるだけかもしれない。と思ったら腑に落ちたので、すこしだいじょうぶになった。気がする。

 車内は静謐である。

 それを視界に捉えた数秒後には、彼女が無貌の存在であることを俄に理解していた。後部座席の左側に座ったわたしの反対側、運転席の後ろ側にそれが座っている。わたしは頭を硝子窓にくっつけて、頬で雨粒の冷たさを享受しながら、まず彼女には固有の名称が必要だと考えた。存在と自己との間の縁を可視化するには最初に名前を付けることが重要であると、国語の教科書に掲載されていた随筆が記憶の裏側からささめく。その日は、雨が降っていた。しかし雨滴が硝子を叩くことほど、彼女は騒々しい存在ではなかった。ただ静謐に、花の揺れるように黙っている。視線はどこにやっているのだろう。定義できるすべてを気まぐれに見ているのかもしれないし、何も見ていないのかもしれない。車内は静謐だった。運転席でハンドルを握る検察官も、助手席で前を向いている検察事務官も、身体をドアに凭れて無貌のそれを凝視するわたしも、誰もが口を噤んでいる。車内は静謐だった。わたしは彼女を、車内と呼ぶことにした。

 この無貌の少女が現れたことに対して、わたしがとくべつ驚いたり慌てたりもせず、すんなり受け入れることが出来た理由に、既に「先生」が居たことが挙げられる。「先生」もまた無貌の存在で、体調が悪かったり、眠れなかったり、現実感の希薄さに侵されてしまうような瞬間に陥ると姿を現した。「先生」にはずっと名前が無かったけれど、その日のわたしが車内を連れて帰ってきたことを鑑みて、それにも不動の名を与えることにした。先に生まれていたから、先生。先生は車内と違って、少女でも、人の形を成しているわけでもない。ただそこにいて、どこにもいない。しかし、わたしが目の前で起こっている現実を受け入れられないとき先生は、ただ後ろで膝を抱えて蹲ったまま待っててくれる。そういう存在だった。

「伝わらないことを悲しむ前に、伝わるように伝える努力をすることも大事だよ。ちゃんと聞いて」
「せめて朦朧としていなければ、明澄に現実を捉えてしまうから。だから、視界や認識をデフォルメしているの」

 我ながら、ひどい皮肉だと思った。とにかくわたしは、わたしの脳の裏側で膿のように燻るダイラタンシーみたいなどろどろが、なぜだか少女の形に誂えられてしまったものを、車内と呼んでいた。わたしがわたしの現実を空想の領域までに歪曲させた結果、現実の副産物として顕現したものが車内であるとも言えるだろう。

「車内ならわかってくれるよね。だって、わたしのイマジナリーフレンドだから」

 車内の顔を覗き込もうとして、彼女には顔がないことに気が付いた。彼女の顔面には、そこら一帯だけが空間ごと切り取られてしまったかの様に、墨壺を引っくり返したような陰影が際限なく広がっている。わたしは車内に、どんな顔をしてほしかったんだろう。車内が「わたしはあなたの一部だから」なんて言わなくて本当によかった。車内は無辜である。如何なるしがらみにも囚われず、蟠りを知らない無辜の魂魄である。彼女はそれから数週間、加害者に判決が下るまでの間、わたしの実在しない友人として傍らに存在していた。

 車内は蒙昧である。

 二キロ歩いたらガソリンスタンドがあると何度も脳裏で反芻しながら、明かりの薄い高速道路の先を見ている。四肢はつめたくアスファルトの上に投げ出されていた。足元のほうにはなにか生物が、たぶん鳥類、もしくは痩せこけた天使が転がっている。細切れの羽と僅かな血痕を辺りに散らして横たわっている。それを一瞥してわたしは「これが、わたしのやったことだ」と理解した。羽のあった生物の片腕を掴んで随行を始める。いったい何に対して随伴行動をとっているのかはわからなかった。どちらかと言えば、そのときのわたしは天使か鳥のほうに移入していて、わたしがわたしを見て随行していると思い込んでいた、のかもしれない。自分が秒針であることに気が付いた。腕を伸ばしたら、指先が硝子に触れる。言語を奪われた花は、こんなに無機的に変容してしまったようだ。破片をぱきぱき言わせながら、道路の上に花弁が散らばる。一陣の風がそれらを掬って、毀れた破片が辺りを無差別に斬りつけた。首の付け根に鋭い痛みを感じて、風に拐われる肉体から、意識が離れていく。

 再び端末は重力の傘下に接続される。瞼を開いたら、車内と目が合った。わたしは車内に抱擁されたまま、しきりに両肩を揺さぶられていたらしい。車内はわたしが目覚めたことを確認すると、唇を淡水魚のようにぱくぱく動かしながら、再びわたしの肩を揺すった。ひどい夢を見ていたらしい。車内との邂逅を遂げた一日みたいに雨が降っていて、帰宅した時点で満身創痍だったわたしは、低気圧にも耐えられずに息をするのを放棄した。中途半端に乾いた頬を夕風が撫でて、四畳ちょっとの部屋の空気がゲオスミンに浸される。シーツの海で干上がるサメを抱いて、顔を埋めた。綿の臓腑を包んだ、生糸の皮膚に覆われる白い腹が、僅かに滲んだ。うたた寝しながら泣いていたのか。

「季節も死んでしまうかな。終わりと言うのが好きじゃないし、二度と同じ夏が現れないなら、それは名前が同じだけの違う現象だよね」
「そうかなあ」
「ベランダに出たいな。ね、来てよ」

 車内と話をするとき、多くは車内の方から語り掛けてくる。ここ数週間は常に、頭の中で何かが割れているような音が響いたり、雑踏やどよめきの中にいるのを追体験している状態が続いていたから、わたしが声を出す余裕なんて無かった。それでも車内は、おそらく彼女が気になったこと、わたしが訊いてほしいと思ったことを口に出す。悪態をつくのも次第に馬鹿馬鹿しくなって、わたしはなるべく車内の好奇心の薪木になることを意識した。

「うたた寝してるうちに、雨、止んだみたいだよ」

 無意識のうちに開け放っていた窓のすぐ縁で案山子になるわたしの頬に、つらりと熱のない水分が滴り落ちる。ひとつ瞬きをするうちに、車内は視界から消滅してしまった。わたしも、慌てて後を追う。廊下の隅には脱いだ靴下とか、肥えて毛玉みたいになった埃とか、ブロン錠の空瓶だとかが煩雑に転がっている。それらの累々を裸足で搔き分け、時折なにかに足を引っ掛けたりしながら、縋る様に手を伸ばした。戸口の向こうで、取り込まれることのないバスタオルやらシーツやらが、雨滴を呑んで緩慢に揺れている。キャンプ用の折り畳みイスが一つ広げてあって、すぐ側には背の低いパキラの植木鉢。その隣に、車内。柄の長いシャベルが一本、転落防止用の柵に立て掛けてあった。

「車内に、家族はいる?」
「あなたがいる」
「……家族に、なんでも言える?」
「なんでもは言えない」

 わたしは嘆息する。彼女にここまで独立した自我を与えてしまった己に呆然として、その反面、高尚な陶然が胸中を満たした。車内も、わたしに言えないことがあるんだ。車内と自分の間に対等さを見出せるかもしれない安堵を見出した。ベランダに寝転がる。こうして己を世界でいちばん矮小な存在にした空想に浸っていたい。

「わたしが悩んだところで、解決も和解も望めない」
「それじゃあ、思考と感情のフォルダー分けをしよう」

 車内は不定形の長い髪を指先で弄び、歌を口遊むみたいに呟いた。ジオスミンと、潮のにおい。九月の暮れ方は肌寒く、病み上がりの身体に雨上がりの冷たさが沁みる。認識は変容しないまま、動きを止めている。

 車内がわたしの腕を引っ張って起こす。触れられたところから、視界の彩度が下がっていく。境目の曖昧なまま美しかった夕景に、燃やされる。あの日、通報のために電話を掛けた夜、シャワーを浴びてバスタオルをかぶりながら見た朝焼けは、わたしの虹彩を確かに焼いた。次に目を覚ましたときから視界の端々は無彩に染まり、何度も石鹸で洗い落とした筈の手垢は黒く、墨で塗りつぶしたかのように、業火で焼き尽くしたあとに残る灰のように、この身体に沁みるまま剝がれない。

「他人の為に作った嘘が、結果として守りたかった他人も、自分自身すらも傷付けている。他人の心配を享受して応えるキャパシティはない。表層化した振る舞い以上に内面は暗澹としていて、ほんとは大丈夫なんかじゃないのに。どうしてわかってもらえないのかな。大丈夫そうに話せてしまうから、いけないのかな」

 彩度の低い車内が、現実がささやきかける。夢より現実の方が整然としているけれど、得た感覚の全てを伝えることはできない。だから夢と夢を繋げたものが現実というのはある程度の納得感があるけれど、それなら夢と現実は違うなんて答えではなく、夢は現実を構成するひとつの要素であるとまとめた方が、収まりがよかったりするのかもしれない。

「人に理解されたければ、理解してもらえる前提を作るんだよ。そのために、ひとつずつでいいから、まずあなたが受け入れなきゃ。切り離して考えること、上手くなりすぎたら、二度と現実に戻ってこれなくなっちゃうよ」

 ずっと、彼女の曝されている劫火のゆらめきを見ていた。蛇の群れみたいに蜷局を巻いた火の粉が大きく口を開けて、足下に散らばる毀れた破片を一息に吹くと、それが陽の沈む頃に天を仰ぐ花の花弁のように巻き上がる。息を吐くだけで、そこに渦がうまれる。うまれ落ちたその時はまだ小さかった炎焔が次第に勢いを増して、内外から着実に燃料を得ては火の粉を吐いて、そしてまた寒蝉鳴が境目の遠くなった夕景に燃やされる。黙って花弁のひらくような炎に燃やされているだけの恒星みたいだった。そうして、車内は死んだ。

 死んだ筈だった、けど。

 車内が完全なフィクションの伴侶になってくれてよかった。これから車内はわたしではなく、彼女の手を引いて歩いていく。少女車内に奥行きはもうない。なんて素晴らしい訣別だろうか。

 車内は、少女である。

 冷えた水面に吐瀉物が漂っていた。およそ半年ぶりにシャワーではなく、浴槽に浸かろうと水を溜めた後から記憶が無い。涎の付着した口の端を拭って、寝間着を脱ごうと浴槽の淵に手をかけた。眠ってしまったのか、のぼせて気絶していたのかはわからない。水を吸って重量を増したパジャマに阻害されて、何度か立ち上がるのに失敗しつつも、這々の体で風呂場を出る。洗濯機の蓋を開いたら、先生が膝を抱えて蹲ったまま、洗濯漕の中からこちらを見上げていた。

「夢と現実を結び付けるというよりは、過去への執着とか戻らなかった時間への後悔をずるずる暗いところで引き摺っているだけなんですよね。どうにもならないことにどうにもならないと体面だけ繕っておいて、腹の底では捨てることなく燻り続けているから、なんて言うのかなあ。夢というよりは戻れない時間……、取り返しのつかないものに対する固執と、強迫観念にも似た何かなんですよ」

 先生が口を開いたのは、これきりだった。かれも、車内が死んだことを肌で悟っている様だ。先生は今日も、明日を先送りにしたがるわたしをつめたく一瞥して、煩雑な脳の裏側を掻き混ぜては、緩慢に溶けた走馬灯を目蓋の中に映し出す。当分、きっと先生は死なない。死んでくれない。わたしの心臓が拍動をやめない限り。

「三十万か。たった三十万円で、少女ひとりの魂を殺してしまえるとでも思ったのか」

 溜まった衣服を洗濯機に漬けて、髪を乾かし、ベランダで冷えた空気を吸っていると、日の登る頃に雨が降ってきた。わたしは変わらず猥雑な室内に踏み入り、部屋中の缶や薬瓶、カプセル容器をゴミ袋に詰めて、固く口を縛る。午前三時、カーテンを開いて、洗い立てのシーツで身を包む。わたしの粛然と蹂躙されたジュブナイルとは、そこで訣別する筈でした。

 わたしは車内と約束しました。車内の願いは、わたしが車内の存在を必要とする理由を二度と持たないことでした。今際の際で「もう絶対に私の名前なんか呼ばないで」と彼女はわたしに託けました。売国が知っているほうの車内、売国のイマジナリーフレンドだった車内が生まれた理由を売国は明確に把握していたし、それ故に車内とは訣別しなければならないと、車内と話し合った末に結論付けたのです。

 その必要があったとき、わたしはハイプロンとコデインとエフェドリンを摂取して、意図的に記憶を曇らせる選択をしました。NEEDYGIRL OVERDOSEがリリースされてから、オオサカ堂でハイプロンの値段が二倍近くにも跳ね上がっていたのを知って、手叩いて笑いました。これなかったらまだ健忘や記憶の欠けや解離症状に悩まされていただろうな。とにかく肉体に宿っている記憶の断片を掴んで引き摺り出そうとして内臓を素手で掻き混ぜられるような感覚がきもちわるくてしかたなかった、だから体内から追い出した。その結果、わたしの剥落した欠片の一部が形を為し、車内が生まれてしまった。たぶんそんな理由じゃないかもだけど、だってわたしは医者ではないからわからないし。

 わたしには車内の考えていることがわかりません。車内だけではなく、わたしはわたしの探索者やPCが世界を感知して、その結果なにを思うのか一切わかりません。文章を書くとき、TRPGを遊ぶとき、わたしの中でわたしの手の届く範囲にある超自我を生み出すとき、わたしはそれらが何を想うのか一切、理解できません。それはきっと、車内と訣別したからなんだと思います。わたしにとっての代替存在たちはすべて、車内の剥落した肉片たちなんだと思います。

 その必要がある限り、車内は必要とする者の後ろに立ちます。あの子に車内が必要なうちは、車内はあの子の剥落したものを集めて人の形を成して、確立された個の生命として彼女の隣に立つのでしょう。少女車内に花束を。永遠のジュブナイルを揺蕩う者たちに花束を。

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