35年間掛けて治った気管支喘息

今晩は😃


招き猫🐱です。



僕は3歳の頃に気管支喘息に罹患しまして、心臓に負担の掛かる薬を飲み続け、酷くなると発作止めの吸入器を使って生活していました。



10歳の時に、当時の小児科の主治医から



「貴方は一生涯この病気と付き合って行くのです」



と宣告され、頭の中がぐしゃぐしゃになりました。



小5の1年間、今は閉鎖した千葉県富津市にあった竹岡健康学園に喘息を癒す目的でそこで寮生活を送りました。



結局、気管支喘息は治りませんでした。



小学校の時には気管支喘息で年間30日以上休んでおり、時には薬が効きすぎて半端ない眠気が授業中に襲い、次第に学校生活に嫌気が差して来ていました。



遡り、小3の時には夏休みの宿題📝👓を一つもやらずに迎えた9月1日。
担任の先生から烈火の如く叱られ、父親の監視の下で一週間掛けて何とか宿題を終わらせました。



何とか気管支喘息に罹りずらくなる方法を考えた結果、小3の3学期から苦手だった縄跳びを1人で黙々と練習を始めました。



最初はスタンダードに連続跳びをマスターして、次はかけ足跳びと来て、最大の難関であった二重跳びにチャレンジ。3日目位で連続3回、5回と記録を伸ばせて、気付いたら学校以外の時間は夕飯近くまで毎日欠かさずに縄跳び一直線。小6の時点で縄跳び検定一級レベル迄に達していました。



気管支喘息は残念ながら残ったまま休む日数も相変わらず30日以上。しかしながら、縄跳びをやり続けて来たおかげで、体力は少なからず付いてきた感じがありました。まあ、健康優良児に比べたらまだまだでしたが、日々気管支喘息の発作に怯えていた自分からは卒業出来ていました。



縄跳びは中1までやっていて、記録は

二重跳び→155回
三重跳び→33回
四重跳び→1回

他には、はやぶさにかけ足二重跳び、片足二重跳び、後ろ二重跳び、後ろ片足二重跳びなどをマスターしていました。



中学に入ってすぐに、親の都合で千葉の施設へ行きました。医療体制がある程度整っていて、中2まで、毎日2回予防用の吸入器をやりに病棟まで往復していました。



この施設には高校卒業まで在籍していて、就職にて上京。結果、6年掛けながらも気管支喘息は根強く体に残ったままでした。



公害病認定制度があり、医療費は無料。
2週間毎に病院通い。



8年間勤めた間に2回入院しました。
毎年有給休暇で賄えず、欠勤していた劣等生でした。



それから11年後の2010年春に奇跡は起きました。きっかけは、試しに1週間予防薬を吸入せずに過ごし、発作はゼロ。次に1ヶ月全ての薬を飲まないで過ごし、発作はゼロ。



そこから本日(2021年6月8日)まで、1度だけ軽い気管支炎が起きた以外は薬ゼロの発作ゼロ!



38歳を目前に控えていた時期に嬉しい寛解状態になりました。



他にも精神疾患を幾つか抱えていますが、気管支喘息が寛解して、諦めないで良かったな、と強く感じています。



35年間猛威を奮っていた気管支喘息に罹患した要因は幼少期の頃に受けた多大なストレスの心因性ではなかろうかな、と。
結果、原因不明のまま消滅してくれたのは本当に有難いです。



(^-^)/ではでは!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?