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あなたも知らない本の帯の背中の世界

本の帯のよさ

本屋で本を眺めているとき、どうしてもその帯が目に留まることがある。「映画化決定!」とか「女子高生に話題!」なんかの謳い文句がデカデカと書かれていて、宣伝に主眼が置かれているつまらないものはごまんとある。そんな中で、デザイナーの本気を感じる面白い/あるいは美しい帯に心を惹かれることがある。例えば本文の印象的な一文が引用されていたり、あるいは訳者の推薦文がそっと添えてあったり、あるいはグッとくるキャッチコピーに心を掴まれる、そういう帯のことである。

この場合の「あたりまえ。だから愛おしい。」という部分がその帯にあたる。他にも、下に紹介する「帯のパワー」では、ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』から『ポプテピピック』に至るまで色々な本の帯に込められた工夫が紹介されているのでぜひ見てほしい。

こうして一部のオタクを魅了してやまない「本の帯の世界」だけれど、今回ぼくたちが潜り込んでいきたいのはさらにその奥地、「本の帯の背中の世界」である。普段は誰も見ることがないし、そもそも見ていることを意識しないような帯の背中だと思う。というのも名称がなく、「帯の背中」というしかない時点で事実である。しかし、そこが実は思いもよらない顔を見せてくれていることが稀にあるのだ。清純派のかわいい女の子が家では煙草を吸っていることに気付いた時のギャップのように。自分だけに見せてくれる裏の顔に気付いたとき、ぼくらはもう既に本と友達の関係ではいられなくなっていることだろう。

読みたい背中

本にお腹はないけれど、口やのどもあれば背もある。本の綴じてある方を背という。本棚に並んだ時に必ず見える部分なので、デザイナーたちは意匠を凝らして背表紙を制作する。
それなのに、あるいは強い光によって暗い闇もより深くなるようにとも言うべきだろうか、本の帯の背中に何が書かれているかをパッと答えることの出来る人は多くないだろう。そして答えられたとしてもその多くは、「作者の名前」「訳者の名前」「出版社」という3つに集約されるだろう。その答えはほとんど正しい。本の背の限られた狭いスペースに情報を詰め込むとしたら、その3つで間違いなくお腹いっぱいになってしまうのだから。こんなふうに。

そこから一歩進んで、本の内容をワンフレーズで要約してくれている背中もある。これが地味に、本屋で見ている時にありがたかったり、棚から抜き取る一押しになってくれたりもする。例えば諏訪正樹編著『「間合い」とは何か 二人称的身体論』の帯の背中には「新しい視点の身体論」と書かれているが、これはこの本が立脚する概念である「間合い」、あるいは「二人称的かかわり」という切り口の新しさを適切に表現しているといえるだろう。

また三浦哲哉『食べたくなる本』の帯の背中は、曖昧なタイトルをクリティカルなものにしている。この本は料理の批評だけではなく、あくまで料理本の批評なのである。

もちろん、このように必要な情報を最低限にまとめあげる帯の背中に大きな意義を認める必要はあるだろう。
しかし同時にこうも思うのである:詩というものが生まれ出ずるとすれば、それは過剰と欠如によるのではないか。中身と無関係ではない、しかし中身の説明をするには全く足りていない破片的な詩的表現を帯の背中に見たときにどこか楽しい気分になってしまうのは、ぼくらがきわめて詩的な生を送っているからかもしれない。
ここからは手持ちの本の帯の背中のうち好きなものをいくつか紹介していきたい。周波数が合いそうな人はぜひその旨教えてください。

パワーワード編

立岩真也『弱くある自由へ』

読む前から「自己決定という幻想」とぶった斬ってくる感じが最高。ゴングが鳴っていない握手の段階で渾身の右ストレートを打ち込まれてKOされたボクサーがいたのだが、その気持ちが少し分かるような気がする。その上ダメ押しの「人は強い存在なのか」は完全に死体蹴りである。

西川アサキ『魂のレイヤー 社会システムから心身問題へ』

こちらも初手で火葬場に送り込まれている。敵勢力に捕まっているときに「あなたを悼むシステム」なんて耳元で囁かれた日には発狂間違いなしである。黒地背景に白文字なのもなかなかにポイントが高い。

哲学編

ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について——ならびに「聖像衝突」』

この記事を書こうと思った原因がこの本である。「超越性」という言葉の威力が凄まじくてそれだけで笑ってしまった。この本のカバーがマットなブラックなのも相まって超越的な感じになっている気がする。

佐々木裕子他『統べるもの/叛くもの 統治とキリスト教の異同をめぐって』

「統治の原型、叛逆の力能」——世界一強い10文字なのではないかと思う。ひらがな2文字のハンデを背負ってさえこれなので、本気を解放した場合東京は壊滅するのではないだろうか。

井岡詩子『ジョルジュ・バタイユにおける芸術と「幼年期」』

バタイユに関して自分が知っている情報といえば、『ドキュマン』という雑誌の1ページに自分の足の親指の拡大写真を投稿するような尖った芸術家である、ということくらいである。パラパラめくってみた限りでは「至高性とは消滅(死)である」みたいなことが書いてあった。「至高性への回路」、もうそれだけで心をくすぐられる一冊である。

飯盛元章『連続と断絶 ホワイトヘッドの哲学』

厨二という言葉はまさにこのためにあるのではないかと感じるほどであるが……。ホワイトヘッド哲学についてはさすがに語るのもおこがましい、というかほとんど理解できていないと言っても良い。大雑把に説明するならば、ある存在は先行するものとの関係で生じており、そして生じたその瞬間に解体され後続するものとの関係になるという考えを前提とした「連続の哲学」である。飯盛さんはその「連続の哲学」の中に、あえてブラックホールのような断絶を見出そうとしている。それ故に文字通り断絶した‡暗黒 の 形而上学‡ だと思われる。

このあたりでひとつだけ趣向を変え、クイズにしてみよう。帯の背中を提示するので、そこから本の題名を当ててほしい。

「不埒な問いかけ」という官能的な響きからフランス書院を想像された方もいるかもしれないが、残念。答えはこちら。

北野圭介『マテリアル・セオリーズ 新たなる唯物論にむけて』である。前フリが前フリだけにちゃんと言っておきますが、この本はかなり面白く読みやすいのでおすすめです。
ちなみにフランス書院の帯の背中を検索した限りでは出版社名が記されているだけだった。ちょっと残念。

ポップ編

前川修『イメージを逆撫でする 写真論講義 理論編』

言うまでもなく石川さゆりの「ウイスキーが、お好きでしょ」リスペクトだと思われるのだけれど、真相はいかがだろうか。瓶の中身ははっきりとした読みやすい研究書である。

三村尚彦+門林岳史『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ』

見方によっては最もパワーワードだと言うことも出来る “Forever Alive!!”、この太ゴシックも相まって良い味を出している。このワードは単に宗教的なわけではない。荒川修作らが作った養老天命反転地は身体の諸感覚を不安定にさせることで五感を揺り動かし、それによって「死なないようにする」建築なのである。それにしてはやや元気すぎるフォントのような気もする。
ちなみにずっと前から養老天命反転地に行きたいと思ってるんだけど、誰かマジで行きましょう。

まとめ

いかがだっただろうか。これまで見た中で少しでもニヤニヤが抑えきれなくなった場合、あなたも既に「本の帯の背中の世界」に片足を突っ込んでいることは間違いない。そしてあなたもまた、自分の本棚を覗かずにはいられないことだろう。あるいは、本屋に行ってみて、本の帯の背中だけで本を選んでみるのも面白いかもしれない。出会い系サイトで顔で選ぶよりは打率は高いことを請け合っておく。

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