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失敗談を共有したら自分が変われた話

皆さんは過去の失敗をどんな風に捉えていますか?
私にとっては触れたくない古傷とでも言いますか、できれば引き出しに鍵をかけて二度と思い出したくないものでした。
しかしとある社会人イベントに参加したことをきっかけに、失敗に向き合うと得るものがデカいと気付き、社内でもやってみたいと思うようになったのです。今回はその経緯と、失敗談を人前で発表したことで自分に起きた変化についてお話しようと思います。

FuckUpNightsという社会人イベント

参加してまあまあ衝撃を受けた

数年前、友人にFuckUpNightsという誰かの失敗談を聞くイベントがあると教えてもらった。メキシコで発祥し世界90ヶ国300都市に広まったムーブメントらしい。面白そうなので足を運んでみたら、登壇者はシュッっとした感じのスタートアップ開発者とか起業家が多く、来場客も意識が高そうである。。自分とは種類が違いそうな人々を見渡して「けっ、エリートめ。」と思っていたが、話をきくとめちゃくちゃやらかしているではないか。聞き終わる頃には「よく生き延びたね。。」と拍手を送っていた。
そうか、華々しい活躍をしている人たちは、裏でたくさんやらかしているんだ、と知った。

登壇してみたら学びが大きかった

失敗談を聞いたときの衝撃が忘れられず再度参加してみたところ、運営スタッフと仲良くなった。ちらっと自分の失敗談を話したら「めっちゃいいね」と言われ、流れで登壇することになった。
一ヵ月間、スタッフと打ち合わせを繰り返しながら自分の失敗談をブラッシュアップしていく行為はさながらかさぶたを何度も剥がして消毒液を塗り込むようなものだった。(つまりめっちゃ辛い。)
特に、失敗が起きる直前~直後にかけての自分の感情変化や周りの反応の変化を深堀りしていく過程が辛かった。

しかしいざ登壇してみると、自分のポンコツな部分をさらけ出し大勢の人たちがそれを笑い飛ばしてくれる体験は、快感極まりなかった。(あまりにも快感なので自虐系コメディアンにでもなろうかなとちょっと思ったのはここだけの話。)「僕ならこうする」といったアドバイスや「周りにも原因はあったと思う」といった慰めの言葉までいただけて、想像以上に温かい世界に驚いた。

スピーチしながら快感を味わってるところ
温かい世界だったイベントの様子

正直なところ、自分が話した失敗談は、ほんとうに大したことないとりとめのないもので、他人が聞いたところで大した学びも無いだろうし、「え、こんなところでつまづくの?」と思われそうで怖かった。
(この時話した失敗の内容は割愛しますね。)
だけど、登壇後に来場客の皆さんからたくさん温かい反響をいただいて、「あ、もしかしたら、失敗をさらけ出すほど周りの人は寄り添ってくれるようになるのかも」という憶測に近い気づきを得た。

社内でやるか

うちの会社の良い所のひとつは、本音をズバズバ言う人が多いおかげでちゃんとした議論ができることだと思う。社内のいろんなところで日々議論がバシバシと展開されているところが私はほんとうに大好きだ。
しかし本音議論というのは諸刃の剣で、思想が食い違ったときに痛みを伴いやすい。

本音で議論しているクマ (photo by unsplash: Zdeněk Macháček)

もし、相手の思想の背景を知っていて、「この人はああいう体験を経てこんな考えに至っている」をたくさんストックできていたら、もっともっと深くて生産的な話し合いが展開しないだろうか?
じゃあ、社員が失敗談を共有する機会を沢山つくっちゃえば良い!
ということで「やっちまった会」という社内イベントを発足したよ。
おかげさまで昨年は2回開催し、工夫や改善を繰り返しながら軌道に乗りつつある。

これは別の社内イベントだけど
雰囲気はほぼこんな感じだよ

自分に起きた変化

さてここで、失敗談を人前で発表したあとの自分に起きた変化について話してみたいと思う。

元々私は他人を批判的に見る癖があり、もれなく他人からも批判されているものだ、という世界に生きていた。だから不得意なことや失敗は絶対に他人にバレちゃいけないし、特に職場ではそういうまずい部分をコーティングして「デキる人感をアピールせねば!」と躍起になっていた。

しかし苦手なものはどうしたって苦手だ。頭の中に重要なトピックがたくさん詰め込まれたら最初のひとつは頭から抜け落ちるし、作り方を間違えてやり直し、ということも日常的に発生する。
だから、そんなことが起こるたびに隠していかなきゃいけない世界はとても辛かった。

だけど、あのイベントでの人々の反応を体験して、少しずつ自分のできない部分を認め、周りに共有できるようになってきた。

たとえば、金曜夜に次に作るものの打合せをしたら絶対に月曜には忘れそう、という時は「忘れそうなので月曜に話し合いたいです」と気付いて言えるようになった。
たとえば、自分で選んだやり方が間違っていたので違うやり方に変更したい時、間違えを認めた上で相談を持ちかけられるようになった。

最も嬉しかったのは、この小さな変化をディレクターが感じ取ってくれていたことである。
「清水さん最近アラート上げられるようになりましたよね。」と言われた。
というか私は言われて初めて自分の変化に気付いたのだ。

先日、そのディレクターから仕事の問題点を指摘された時、こんなふうに言われた。
「一緒に仕事していて、清水さんは多分マルチタスクは得意じゃないタイプだと思うんです。でも、やり方を工夫すれば問題を回避できる、ということが言いたかったんです。清水さんの得意な能力が最大限に出ることが僕にとってもチームにとっても助かるから、そこは工夫していきましょう。」
とのこと。

ああ、この人は自分のダメなところもまるっとひっくるめて認めた上で、チームに必要としてくれているのか、と驚きの混じった感動が込み上げて思わずウルっときてしまった。

以前の私が思い込んでいたものとは全くの別世界である。
自分で失敗を認められるようになったら、周りの世界が思ったよりずっと優しかったことに気付けたのだ。

もちろんプロとして働く以上、自分に頻発する問題は課題として捉えて解決していかなければいけないが、以前の隠そうとしていた頃に比べたら、大分ポジティブに改善に取り組めるようになった。

まとめ

ということで、失敗談を他人に話してみると色んな変化があるので、よければ皆さんもやってみて下さい。
特に、「批判」や「競争」の世界に生きている方は、自分をさらけ出す習慣が身につくと、世界が優しくなるかもしれません。
私は引き続き社内イベントを開催していき、心を開いて本音でお仕事する空気をつくっていきたいなと思っております。


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