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サラリーマン生活の終わりの始まり

いつもご覧いただきありがとうございます!

1995年生まれの25歳 三浦 風太(ミウラ フウタ)と申します。
現在は「Innovation Body株式会社 代表取締役」
「ANGINパーソナルトレーニング代表」として活動しています。

前回の投稿はご覧いただけましたか?
見ていない方は先に読んでから本文をお読みください。

2013年4月から私はサラリーマンとなりました。

鉄道系の設備点検が主な業務でした。同期は9〜10名いたと思います。
最初の1ヶ月は研修でした。元々やりたい業種でなかったため早くも苦痛でした。
会社のやり方なのか?個人の考えなのか?
分からないが、理不尽なことを言いまくる奴が多かった。技術は確かかもしれないが、「人に伝える」能力は低い連中の集まりだ。

なんだか会社の批判みたいになってしまった。

話を戻します。

5月から新入社員の配属が決まりました。
私の配属先には高校のOBが多数。同期が3名配属されました。
主に関連施設の設備点検が業務でした。

そうだ!

初めてのお給料も振り込まれていました。その喜びは今でも鮮明に覚えている。お昼休みに近くのATMに行って確認をしました。今これを書きながら当時の記憶が鮮明に蘇る。

その日の勤務のみ気分良く終えれた。お金も手に入り、そのまま調べていたスポーツクラブに直行した!一日も早くジムに入会して本格的にトレーニングがしたかった。即日契約を結びました。

会費は格安で、一月で5000円程でした。仕事を終えたらそのままジムに行く生活になりました。

仕事の方は相変わらず苦痛です。正確には職場内の人間関係が苦痛でした。

ジムでのトレーニングだけが私の救いでした。

「好きな仕事で生きていく」

これは簡単でなないのは分かる。

ただこの言葉は複雑だと思う。「生きていく」となると、どうしても独立起業することがイメージされる。別にアルバイトでも良いのでは?普通の生活をするならアルバイトでも出来る。

皆あまりにも成功している人の情報を頼りにするため、スケールを大きくして考え過ぎだ。

私は鉄道系の仕事を辞めてジムで働きたいと強く思い始めた。当時通っていたジムでアルバイトを募集していた。

「俺を採用しないか?」

自らスタッフに声をかけた。この時はまだサラリーマン。5月の初旬で、会社に筋を通す(退職までのようする時間)意味で早くても7月からになると伝えました。その場では自分のトレーニング愛と、辞めれば7月から働けます!この2点を伝えました。

後日履歴書を持参し面接を行なった。

ただ即決には至らず、とりあえず上のものと相談してみる。
好印象で面接は終えました。

それから数日後…

担当者の方から電話が入りました。

「採用」

良かった。安心した。嬉しかった。

同時に恐怖も…

勤めて間もないのにも関わらず、退職したい意思を伝えなければならない。嫌な記憶は忘れてしまう。あまり覚えていないが、課長に辞める意思を伝えたと思います。

言葉は覚えていないが、ボロクソに言われた記憶がある。

ハッキリ言ってしまえば、自分の人生です。
会社に迷惑をかけようが関係ありません。

**

自分が1番力を発揮出来る場所で勤めるべきです。**

会社内や同僚に嫌われても死にはしません。

むしろ!新しい出逢いのチャンスです。

**
ここで終わり**

ここから始まる

私の短いサラリーマン生活が終わりました。

2013年の7月から私はジムトレーナーとなりました。
(アルバイト)

もっとも、このジムに長いこといるつもりはない。
私がやりたいのは「パーソナルトレーニング指導」。ここでは出来ない。ノウハウを教わったら別の場所で活動する。
時期は未定だが、初めからそう決めていました。

ジムで勤めてからは、上司から色々学ばせていただきました。
特に重要な接客スタイルを学びました。お客様との距離感が重要だと日々言われ続けました。

「三浦君が知識があるのは分かる。ただ、お客様は一つの事を答えて欲しいのだよ。1~10まで答えるのは’自己満足‘だよ」

自分は他より優れている。この部分を売り出したい自分にとって「何を言っているんだ?」と当時は思った。

今になってこのスタイルの重要性に気づいています。
多くの人は「自己満足」の押し付けです。
多くのお客様はそこまで望んでいないのです。もっと早く気がつくべきでした。

当時の私は、自我を捨てて指示通りに過ごしていきました。多少のストレスはありましたが、トレーニングが全てを発散してくれました。勤務前の施設利用の許可を頂けました。当時の上司には感謝しています。

トレーニング・仕事

この2つのみの生活が続きました。

何人ものアルバイトスタッフがいましたが、皆やる気のない奴ばかりでした。
たかが1〜2週間研修をしてお客様を指導していました。
スポーツクラブなんてそんなものなんです。ど素人スタッフの集まりです。
ムキムキである必要はありませんが、一度も真剣にトレーニングもしたことない奴が、その辛さを、その痛みを理解できますか?

目の前のお客様とシンクロできますか?

幸い私はトレーニング経験が人より長く、知識がありました。
自然とお客様の方から歩み寄ってきてくれる様になりました。

自己満足、押し付けにならない様
注意を払いながらお客様にアドバイスを送り続けました。

以前の職場から比べると、月日の流れはあっという間でした。
丸1年を経過した頃から、スタジオレッスンも行う様になりました。

主に高齢者の方々の体操教室?機能改善に近い教室をやらせて頂きました。お客様と密に関わることができ、とてもやり甲斐のある業務でした。

2014年の7月頃から私は、鍛えているなら筋肉で有名になりたい。こう考え始めました。どうすれば良いのか?考え抜いた結果が

コンテストに出場して上位争い

これは間違いなくメディアが食いつく。そう考えました。

その当時コンテスト優勝をきっかけに、一躍有名になったトレーナーがいました。私もそうなりたい。その思いでした。

その当時はフィットネス文化がまだなく、コンテストの数が限られていました。出たいコンテストが札幌ではありませんでした。
「東京自由が丘」で10月に開催されるコンテストがレベル的に出れそうでした。当時一緒にトレーニングを行なっていたお客様にも声をかけて見ました。

私「こんなコンテストがあるのですが出ませんか?」

お客様「いいね!出よう!!」

あっさりと出場を決めました。
この日から私は人生初の減量とタンニング(日焼け)を始めました。

普段のトレーニング+有酸素運動+食事管理です。

毎日が真剣勝負でした。そんな生活をしていると、意識の低い連中を見ると腹が立つ様になっていた。特に、職場のアルバイト連中に対して。時間にルーズ、勤務態度、言葉遣い全てが不快でした。

もっと言えば正規職員でも時間にはルーズでした。度々時間ギリギリに出勤していた。それから着替えるのなら遅刻では?
いい大人のくせに、こいつはアホなのか?とまで思い始めていた。

今経営者の身の私としては、出勤時間1〜2分前に当たり前の様にくる奴はクビだ。

そもそも私がコンテストに出るのは「有名」になるため。
ということはコンテスト出場後は有名になっている?
それならすぐにジムをオープンさせていれば人が集まる?

こんな浅はかな想いも抱き出していた。

コンテスト出場

好成績を収める

有名になる

ジムに人が集まる

独立しても大丈夫だな・儲かるな

こんなアホみたいな発想が連鎖していきました。

長渕剛さんがよく言っていた言葉があります。

「若者の特権は根拠のない自信だ!」

このセリフにつられるかの様に自信に満ち溢れていました。

私は決意を固めました。11月いっぱいで退職する。
大会は10月末。そこから準備をする。その際に収入がなくなっては困るので、11月中は働くことにした。

脳内は完全に病気だ。

何も成し遂げていないのに成功イメージだけがよぎる。

迎えた大会当日。

周りの参加者のレベルに驚く。関東圏の選手はレベルが高い。
自信満々の私でしたが、あっさり予選敗退しました。

絞り込みは良かったが筋量が圧倒的不足。

早くも予定が崩れる。まず予選敗退では有名にはなれない。
(北海道での出場は私が2人目でした。10代・20代では唯一)

独立しても知名度不足で人は寄って来ない。早くも困りました。とにかく露出を増やすしかない。日々のトレーニングをアメブロで更新する様にしました。

完全な悪あがき。もっと早くからやっていればよかったのに。

とにかく時間がなかった。

正確には自分で時間をなくしていた。

とりあえず不動産屋に向かいました。麻生駅から徒歩7分程のワンルーム物件。即決で申し込み。当時まだ19歳。お金はありません。敷金礼金0円の物件にこだわっていました。とにかく支払うお金がありませんでしたから。

よく周りからは借金は?なし?こんなアホな質問をされました。
あるわけありません。借り入れできる自己資金も信用もありませんから。

そもそもパーソナルジムは空間だけあれば開業できます。器具なんてなくても指導はできますから。
私の場合は多くを高校生の時に集めていた物を使いました。
まさに先行投資。

**当時の私のブログ。

開業に際しての告知がされていた。**


空間の写真があまりなかった。
↑こんな感じの狭い空間だった。

アルバイト生活を終えてオープンを迎えた。

しかし

客が来ない

暇だ

貯金の底が尽きそう

どうする俺???

あまりにも金が無くて暖房を付けれなかった。

外にいた方が暖かい日もあった。

続く………















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