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記録_20220907

まだ生きている。平凡に生きている。

昨日までの旅路は再生するきっかけになっただろうか。自らの情けなさをそのまま愛すことはできるのか。一つだけわかるのは、刹那的な出会いの方が輝いて見える面白いことであるということであり、それこそが強烈に記憶の中に残されるということであり。

インドで出会ったおじちゃんもナンパしてきた青年も、串本で会った原付おじちゃんも、尾道で出会ったお姉さんも、皆、素性はわからないが、それでも永遠に私の中に止まり続けるだろう。そういう出会いで十分で、長い人間関係は本当に退屈でつまらなくて最悪なものだ。

『北の国から』にどハマりしていて、ドキドキする。好きなものに出会うと私は恋したようにドキドキしてしまう。いっときサザンオールスターズに、というか桑田佳祐にハマった時は、彼の歌声のみならずテレビに映った時や、「サザン」という言葉にすら、ドキッとしてしまい、これが甘酸っぱい気持ちなのかと、何年も前の恋愛を思い出した。

夜は久しぶりに中島みゆきを聴く。アマゾンプライムの音楽プラットフォームではシングル曲だけが聴ける。いつかlpを買ってザラつく音と共に聴きたい曲がある。一生聴き続けるのは間違いなく「浅い眠り」だろう。彼女も北海道の地で育った人だった。

熊が民家を襲った事件や、登山中に襲われた事件のWikipediaを読んでしまう。北海道における「開拓」について、『北の国から』をきっかけに考えている。私はその歴史をあまりにも知らないし、あまりにも無縁だった。だけどその地を目指してその地を開拓した人がいたことを、作品を経由してようやく知った。

「開拓の裏返しには数々の殺生があった」。そんな台詞があったっけな。

山田洋次の作品『家族』は、長崎から北海道を移動する物語だが、彼らは炭鉱を捨て、北の大地で開拓を目指していくのだ。70年代に創られたこの物語は、おそらく最後の「開拓」神話だったのかもしれない。



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