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【No.26】フィリピン留学こぼればなし~その1

筆記体を書いてほめられる

授業中にノートを取っていると、何度か「あなた、カーシヴが書けるの!?」と驚かれた。

カーシヴとは筆記体のこと。ブロック体だと読みやすい字が書けるので、授業のあとでノートをまとめるときはブロック体を使うが、スピードを要する授業中のノートはいつも筆記体で書いていた。それを見た先生たちに、「カーシヴが書ける生徒を初めて見た!」と言われたのだ。

今30代以上の人は、中学校で筆記体を習っているからみんな書けるはず。が、それ以下の年代になるとあやしい。

理由はこういうこと。

あるとき、学習指導要領から「筆記体」の項目が消えたのだ。

学習指導要領とは、文部科学省が出す、「学校では最低ここまでは教えてね」という指針。だいたい10年ごとに見なおされる。

“最低”といってもそれだけでも十分大変な量だから、学習指導要領に載っていないことまで教えてくれる学校は限られる。つまり、消えた項目は、教えられることなく忘れ去られてしまうのだ。その一つが「筆記体」。2002年、ゆとり教育の頃に中学校の学習指導要領から削除された。

教育とは大事であると同時に恐ろしい、と思うのはこんなとき。学習指導要領から消えたものは教わらない。教わらないことはできない。

たとえば、「鉄棒の逆上がり」。子どものころ、逆上がりができるまで放課後に残って何度も練習した記憶があるし、そういう子をよく見かけたものだ。今はそんな光景を見ることもない。その理由は、昭和55年に施行された学習指導要領から「逆上がり」が消えたから。

その代りに、今の小学生はプログラミングも勉強するし、英語も必須化される。

新しく学ばなければならないことが増える一方、なくなっていくものがある。そうしないと先生も子どももいっぱいいっぱいになってしまう。それはわからなくはないのだけど、筆記体は書けたほうがいいような気がする。

ブロック体よりも絶対に早く書けるし、傾斜がきれいに揃った筆記体のノートは美しい。英語への憧れは、美しい筆記体から始まったようにも思うのだ。

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