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6室と12室、此岸と彼岸 その2

前回の記事に関連して、かねてより僕が思っていたのは、ヌーソロジーは、12室案件を6室の問題に降ろそうとしているのではないかということでした。今日はそのことを書いてみようと思います。この記事は前回の続きになります。

前回の記事 ↓


アカデミックとオカルト

今の段階ではヌーソロジーはまだオカルトの分野と言えるのかもしれません。それをアカデミックな手順を取り入れることで、アカデミックの世界に通用する、真の科学として新たな分野を立ち上げようとしているように見えます。

ヌーソロジーでは、前回説明した虚数の意味も明快に説明していますし、素粒子の構造も説明しています。アカデミックな姿勢と違うところは、人間の意識も構造の一部に組み込むという視点で理論ができていることです。

アカデミックの科学の世界では、客観性を担保することを絶対視していますから、観察者の意識が構造に組み込まれるという時点で、それは科学ではないという扱いになってしまうわけです。その時点でオカルトと言われてしまうわけです。

それでも、ヌーソロジーの考え方に馴染む人が少しずつでも増えてきて、ある程度の数の科学者、研究者によって追認されていくならば、やがて人間の精神と物質に関する見方ががらっと変わるということもありえると思います。

それは、アメリカにおいて、今では奴隷制が支持されなくなったということと、同じことだと思うのです。人間の意識が進化することで、社会の当たり前は変ります。その分、社会は自由度を増していくということですし、人間性が実現されていくという事になるでしょう。

素粒子=意識

素粒子が人間の意識だといわれても、ピンとこないかも知れませんが、量子力学のブラックボックスを説明するためには、そこを突破することがポイントになると思われます。

素粒子が我々の意識であり、同時に物質の最小単位でもあるということになると、全ての物質は意識でできているということになるわけです。

これはまさにライプニッツのモナド論であり、スピノザの汎神論であり、空海の「即身成仏義」にある「重々帝網なるを即身となす」と同じ世界観です。

それを受け入れる人が増えれば増えるほどに、世界観は変っていくことになると思います。少なくとも、自分自身が広大な宇宙の中の取るに足らないちっぽけな存在などではなく、この宇宙を支えている欠くことのできない、重要な存在であるということが見えてくるわけです。

わたし=霊

わたしは霊であると思っている人と、わたしは物質であると思っている人では、生きる意味が根底から変る可能性があります。

この宇宙に存在するすべての物質は、わたしやあなたや彼らや彼女たちの意識が裏支えして存在していて、物質自体がそもそも霊的なものなのだと言うことがわかる人が増えてくると、社会は自ずと変っていくだろうと思います。

そういう世界観が見えてくると、何でもかんでも12室に押しつけて、悪いことやずるいことも平気でやってしまうということの積み重ねが、現代社会の混乱の原因なのではないかと考えたくなります。

12室は潜在意識であり押し入れでもある

12室は便利な押し入れですが、それをどう使うかは、人それぞれです。12室の使い方にも、良い使い方と悪い使い方があるということですね。

裏金であっても、何のための裏金であるかによっては、良い裏金と悪い裏金があるということです。法律を破るということに関しても、良い目的のために破るということと悪い目的のために破るということがあるということです。

悪いものをたくさん貯め込めば、それが社会に反映して来ますし、良いものがたくさん貯め込まれれば、それも社会に反映していくでしょう。

意識が世界を作っているわけですから、意識の意味を理解したならば、その結果としての現象も当然変化があるからです。

物質と精神の結びつきが当たり前になり、みなの共通認識となり、素粒子と人間の意識構造の関連性が認められたとしたら、その時点で、世界はグレンとひっくり返ることになるのではないかと思っています。

たぶんそれが日月神示の中で語られていた、半霊半物質という事の意味であり、グレンの正体でもあるんだろうなと自分的には思っています。

量子力学がブラックボックスであるにもかかわらず、量子の技術は様々なものに、応用されてきていますが、そのことによって生活は便利になりましたが、同時に何かおかしいと思い始めた人も多いのではないかと思います。

ブラックボックスを開いて、仕組みを理解するということは、人間の意識進化によって可能になります。そこにチャレンジしてるのがヌーソロジーなのかなというのが、僕の目に見えている景色です。

ブラックボックス問題が、12室問題でなく、晴れて6室問題となったならば、そこにはずるいことも悪いことも、入れ込めなくなりますから、世界は自ずとしかるべき方向に進んでいくのではないかと思います。

存在の本質が見えてきたら、今までやってきたずるいことができなくなるということですね。そういうことの小さな変化の積み重ねがやがて社会の進化につながっていくのだと思います。

もっともすべては対化あってのものですから、ある程度上に行こうと思ったら、ぐっと沈み込まなくてはなりません。そういう意味では、善も悪もなく、すべては必要だからこそ存在していると思います。

しかし、こういう構造を理解することによって、人の意識は変わる可能性があると思っています。

意識進化は対称性の拡大

そういうことが、個人的に起こることなのか、それとも社会を巻き込みながら、宇宙全体で起こることなのか、ごく一部の人だけに起こることなのか、どのようなプロセスで起こっていくのかはわかりません。

しかしながら、少なくとも、人間の意識進化が、3次元対称性(上下の発見、地球が丸いことの発見)を達成したからこそ、絶対的な身分制度はなくなり、基本的人権を獲得したといえるわけです。

さらに、4次元対称性(生と死の対称性、霊的差別の撤廃)を獲得できたならば、人は死を恐れなくなるでしょうし、人と人は霊として同格であるというのが当たり前の感覚になるでしょう。

さらに、これは想像することもむずかしい所ではありますが、5次元対称性(あなたとわたしの対称性)を認識できるところまで行きつくならば、何か大きな宇宙的な変化が起こるのではないかと思います。

残念ながら、今の段階では3次元対称性さえ、危ういですし、4次元対称性となるとさらにむずかしいことだとは思います。

ちなみに、今の量子力学では素粒子が5次元対称性を持った高次元存在であるということがわかっています。

人間の意識は本来、5次元対称性に対応できるようなスペックを備えているということなのだと思います。いつの日か、そのような意識状態となって、世界を眺めてみたいと思います。

ヌーソロジーについてはたくさんの本が出ているので、興味ある方は、ぜひ取り寄せて読んでみてください。たとえばこれなんかわかりやすいと思います。↓

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鬼が笑う?

こういう話は、鬼が笑うような話でもあるので、このくらいにしておこうと思います。読んでくださっている方の中には、さすがにあきれたという方もおられるかも知れません。

しかし、ホロスコープの中の12室という領域のもつ意味は、押し入れや潜在意識と似たような働きをするところであるということは覚えて置いていただけたらうれしいです。

そして、そこで動いているものは何かというと、他ならぬ、わたしたちの生命であり、感情のエネルギーです。そのエネルギーがわたしたちの現実を作っているわけです。

感情のエネルギーをどのように出すのか、どの分野に多く使うのか、それは個人によって違いがありますが、それをチャートにして表わしたものがホロスコープという事になり、それを読み解くということは、具体的な構造の理解につながるわけです。

使い方によっては宇宙の真理を知るための、道しるべとしても使えるかも知れません。そういう意味では、まさにアカシックレコードとも言えますね。

そして、理解が進むにつれて、意識の進化の度合いも進んでいくだろうと思います。そういう点で、西洋占星術であるとか、占いであるとか、明らかに12室にカテゴライズされるようなものであっても、それは彼岸に通じるものでもあると思います。

同じ12室でも、どういう心がけでそれを使うのか、それが問題だよということだと思います。繰り返しになりますが、裏金にもいい裏金と悪い裏金があるということです。12室をどのように使うか、それは各自の自由ですが、ここの使い方が、現実に影響を与えているのだとしたら、使い方については心する必要があります。

以上、このくらいにしておきます。テーマ的にもとてもむずかしい話で、頭がこんがらがりそうになりました。しかし、このようなこともちゃんと文章化していけるようにはなりたいので、これからもたまにはこのようなテーマも扱おうと思います。もしかしたら、その3もあり得ます。

ご意見、ご感想、応援の言葉など、お待ちしています。どうぞよろしくお願いします。(o^^o)


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