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スローモーションで着物を脱ぐときに起こること

昨日の原初舞踏の定例稽古の中で、スローで上着を脱ぐという稽古をしました。4年前にも、日本の着物を羽織り、その着物をゆっくりと脱いでいくということをやったのですが、それを洋服でやるというものでした。

4年前のその稽古のことは、今でも鮮明に覚えていて、いつかまたやりたいと思っていたものでしたから、稽古の最初にその話を聞いた時には、ついにきたという気持ちになりました。

そのくらい4年前の着物を脱ぐスローは印象に残っています。服を脱ぐということは、普段当たり前に毎日皆がしている行為ですが、あえてそこを切り取って、スローでゆっくりと、丁寧に脱いでいくことで、さまざまな発見が起こります。

自分がやる側になった時もそうですが、人がやっているのを見ている時にも大きな意味がありました。

ひとつひとつのプロセスが、跨ぐべき、越えるべき境界になっていることが見えて、それを乗り越えていく時に内側で起こっている微かな変化さえ感じられて、それこそスローモーションでありえない世界を見せてもらってるような感じがしました。

それも、稽古場で半分の人が見取りしている中でやるわけですから、当然見られるという非日常な環境で、服を脱ぐといういうことになりますから、いろんな思いが脳裏をよぎります。

チャックをおろしていく時だとか、裾を開く時だとか、胸を開いていく時であるとか、肩が抜ける時とか、普段は人に見せないところを開いて見せていくということをするわけです。

俗にいう腹を開き、腹を見せる、全てを曝け出すということを、あえてやるわけだから、そういう時に起こってしまう、その人自身の無意識的な振る舞いや気持ちが見えてきたりもします。

その時に演者の中で起こる、ためらいや、葛藤、恥ずかしさや、ジタバタする感覚や、開き直りの瞬間や、それでも思わず手が止まってしまう瞬間や、袖がするりと抜け落ちた時の安堵感であるとか、清々しさ、他者に自分のありのままを見せるときに何を感じるか、など、様々なことが目の前で展開していくわけですから、とても惹き込まれました。

その上、着物を使った時には、布の持つ魔性性といいますか、着物自体が生きているとでも言いますか、少しずつはだけていく感覚であるとか、肌に触れる感触であるとか、ほとんど動きはないのに、裾だけが少しずつズルズルと移動していくところとか、そこには時間を超越するような仕掛けがたくさん入っていて、息つく暇がないほどの、恍惚が展開していったというのが4年前の記憶でした。

この時に脳裏によぎるのは、蝶々や蝉の脱皮、羽化のことでした。蛹や幼虫の時代から、殻を破って外に出ていく時のことがオーバーラップして見えてくると、着物を脱ぐという行為は、命懸けの脱皮であり、そのプロセスがうまくいかなけば、死んでしまうというような危険な行為にも思えてくるわけです。

だからこそ、着物を脱ぐ時に、裾がひっかかったり、腕が抜けなかったりする時に起こるのは、これで死ぬかも知れないという恐怖であり、焦りであり、だからこそ、脱ぎたい、生きたい、成長したいということは、彼らの持っている本能でありますし、それはまた人間自体も内に秘めて持っている本性というようなことなのだと思うのです。

だからこそ、この着物を脱ぐという行為が、とてつもなく魅力的で、恍惚を伴う行為であると同時に、生きていることの意味に、直接向き合うようなことが起こってしまう現場とも言えるのではないかと思っています。

ちなみに蝶々が羽化するときに、あまりに苦しそうに見えて、時間もかかりすぎて、このままでは羽化できないかも知れないと感じた観察者が、ピンセットを使って脱皮を助けてやったところ、脱皮は完了したけれど、結局その蝶々は飛べなかったという話を読んだことがあります。

どんなに大変な脱皮という行為であっても、やはり自分で乗り越えなければ、その先には進めないということが、生命の世界の当たり前であり、厳しさであり、だからこそ本気で向き合わねばならない行為でもあるのだと思います。安易な手助けはその人の人生を逆に終わらせてしまう危険性さえあるという教訓がそこにはあると思います。

着物を脱ぐという行為は、突き詰めるとそこまでのことを経験することになりますから、そこを無事に潜り抜けたときには、大きな達成感もありますし、安堵感にもなりますし、また、うまく行為を完了させることができなかったとしても、どこで自分は止まってしまったのか、どこに引っ掛かり、ブロックがあるのか、そういうことを観察できる稀有な現場ということにもなりますから、この稽古もまた、床稽古と同じように、生き直し、生き返るためにとても有効なものと言えるだろうと思うのです。

ここまでで、2000字超えてきましたね。まだ、前置きのつもりでしたが、すでにずいぶん長くなってしまったので、この記事は、いったんここまでとしようと思います。

昨日の稽古で上着を脱いだときに、僕自身が感じたこと、起こったことについては、また別記事にて書きたいと思います。

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