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意識進化とは? 思考としての愛!

こちらは数日前に公開されたヌースサロンのミニクリップです。

川瀬統心さんが半田広宣さんにオコツトの話を聞くというような形の新しい企画だそうで、なかなかおもしろそうです。今回は初回ということで、オカルト、超能力、スピリチュアルなど、雑誌「ムー」的な話もされていて、のっけから興味深いです。

「超能力は奇形である」と、オコツトも言っていたというような話から始まり、スピリチュアルもほとんどは我欲やんという感じで、統心さんもおおっとのけぞりそうなくらいの勢いで、バッタバッタと快調にヌース節を炸裂する半田さんを見ていて、半田さんにとっての当たり前ってそういう感じなんだということがよくわかった感じがします。

超能力的なことであっても、そんなに特殊なことではないわけですね。時代が進んだとしたら、そういうことは当たり前にみなができるようになるという事もあるからですね。そんなに特別なことでもないし、超能力とかは人間の意識進化にはまったく関係ありませんとオコツトが言っていたと言うこともあって、むしろそういうことは遠ざけるようになっていったとのことでした。

ヌーソロジーのような世界観に興味を持ってくる人というのは、割と超能力好きで、オカルト好きで、スピリチュアル好きという人が多い中で、半田さんのそこまでの達観ぶりはちょっと驚くほどですが、しかし、それが人間の意識進化を第一目的とするヌーソロジーにとっては、当たり前の有り様なのだと思いました。

5次元アセンションとかもそうですね。5次元ってどういう意味で言ってるのか、どこに行こうとしているのか、今のスピリチュアルのあいまいで無責任な言説に対しての警鐘というようなこともあるのだと思います。というか、人間の意識進化を真面目に目指している人にとっては、そういうのはまったく意味がないということが言えるのかも知れません。

このクリップの最後に「愛」について語られているところがありました。統心さんの後ろには、以下のような言葉が並んでいます。

人間の意識進化には力と方向が必要です。しかし、進化のための力は残念ながらあなた方が愛と呼ぶ情緒の中には存在していません。情緒に働かされている愛とは意識進化の方向性のようなものなのです。

「人類が神を見る日」149ページ

これはオコツトが語った言葉だそうで、「愛」だけでは方向性だけであって、力がないということだそうです。そのことを半田さんは、「海の向こうにアメリカがあると言ってもアメリカには行けないでしょ。それと同じで愛というのも方向性だけなんだよ。意識進化を目的とするためには「思考」しないといけないということなの。」とおっしゃっています。

「人類が神を見る日」という本の中で、「思考としての愛」という章があり、上の引用に続く、次の文章も紹介します。

あなたがたが歴史の中で愛の重要性を何度となく唱えながらも、それが有効に機能してこなかったのは、意識が方向性だけでは進化を行なうことができないからです。そこにはその方向性へと進んでいく力が必要です。進化のための力とは、実はあなた方が思考と呼ぶ精神作用の中にあります。愛をかたちあるものとして見いだすこと、それが本当の宇宙思考というものであり、人間に与えられた役割の本質なのです。

そして、今までの人類がやってきた思想や宗教による活動がじゅうぶんではなかったと言うことを語ります。

残念ながら、それらは人間の思考の域を出ていません。人間型ゲシュタルトの域を一歩も出ることができなかったからです。

そして、変換人型の思考様式を身につける必要があることを告げるのです。変換人型ゲシュタルトにおいては、空間の差異を見抜く視力が必要です。4次元時空と4次元空間の違い、自分が存在している本当の位置がどこなのかを知っているということです。

思考こそが本源的な愛に辿り着く唯一の力だと言ってもいいでしょう。思考によって認識を変え、認識を変えることによって今度は感覚を変える・・・・・・、そして感覚の変化はあなたがたの感情さえをも凌駕し、人間の意識全体を全く別のものへと変容させていくのです。意識進化とはそういうものです。

5次元アセンションは勝手に起こりません。UFOが助けに来るという事もありません。なんらかの変化はあるかもしれませんが、特別なことをするというよりは、あたりまえに日々の暮らしを充実させながら、空間の仕組みであるとか、自分の位置がどこにあるのかとい言うようなことをイメージできるようになっていけばよいということなのだと思います。(o^^o)

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