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縮むことと膨らむこと

目覚めた時にまるで夢の続きであるかのように踊りの中にいた。ずっと昨日からの踊りが続いていたような気さえする。

昨日の原初舞踏の稽古の中での新しいチャレンジが今もまだ身体の中で動いていて、空間をどんどん広げている感じがする。

とにかく楽しかった。ついに正しい方向を見つけてしまったという感覚。

今まで雑巾を絞るように身体を絞ることで様々な小爆発を経験してきた。バリの踊りを長くやっていたので、特に手首を捻るところから何かが起こるということ、さらにはそれを応用していろんな筋肉を捻ることで、さまざまな小爆発が、時には大爆発となる経験をしていたけれど、それではしょせんゴジラの変態から、ゴジラのエネルギー噴射にしかならない。ゴジラがエネルギーを噴射するとしても、それは所詮人間の感情に過ぎないということを思った。

今日の発見は人間を超えるための何かだったのだと思うところがある。最後のフリーダンスの時に、後ろを向いて、背中で踊り、次に背後を意識して踊り、そこから前に振り返ったけれど、一人様子が明らかに違う人がいて、その人は動かないのに背中から語るものが尋常ではなかった。

そして振り返った時に、その存在感はまさに妖怪であり、墓場から出てきてしまった瞬間で、本来見てはいけないものを見てしまったような気がして、心底驚いた。

僕自身は後ろを向いての動きは今ひとつ上手くはいかなかったのだけれど、その人のその姿を目撃してしまったということの意味が、一夜明けて、目覚めたばかりの寝床の中で、ありありと蘇ってきて、自分もまたあの妖怪のような存在に通じるものであるということを確認しているのだと思う。それを感じて喜びに震えているというのが、今現在ここだ。

その人が言った言葉が、「前も後ろも人間ならざるもので埋め尽くされてどうしようもない状態になった、それから比べると、感情も所詮人間でしかないと思った」というもの。それがあの時にその人に起こっていたことらしい。

それを聞きながら、とてもとても大事な瞬間を目撃したんだということを理解したということを思う。一夜明けてその感動の中で目覚めたということなんだろうと思う。いつもだいたい大事なことは翌日わかるということが多いというのも面白いなと思う。

昨日の稽古の中で何が鍵になったかと振り返ると、床稽古の中での予備動作として、いつもの落下に加えて、開く閉じる、膨張する縮むのイメージを入れたこととだったと思う。

僕にとって、小さく縮んでいく時に限界以上縮もうとする時に、そこで起こる爆発は、何か本質に触れることだったのだと思う。だから縮みきれば膨張が始まり、今度は膨らみきればまた縮み始めた。

今思うに、それまでの筋肉を捻ることで起こる爆発は所詮人間ということだ。しかし縮むことと膨らむことで起こることは、より本質に触れるということなんだろう。その方向には人間を超える何かがある。

そのめくるめく繰り返しの中で僕の意識は消えていて、ただただその中にいることを楽しんでいたのだと思う。

何度目かに縮んだ時に、この方向にグレンするということが虚の空間に出るということだとわかっていて、そのまま永遠に踊り続けたいと思ったということを、今になって思い出した。

最後のシェアの中である人が、「縮んで行った時、これ以上縮みきらないところまで行ったと思ったら、急にガスみたいになってびっくりした」と言ったのだけれど、まさにそれじゃないか?! それはまさにグレンということではないのかと思ったりした。

ヌーソロジーを知っている人なら、ψ1が膨張でψ2が収縮で、ψ3は反転空間に出るということがピンとくるかも知れないけれど、まあ、今はそんなことはどっちでもいいことなんだよね。

実際にそれをやってみることで何が起こるのかを楽しむだけでじゅうぶんだという感覚になっている自分が面白い。それだけ圧倒的に幸せな空間体験だったということだと思う。

さっき、ゴジラのことを書いたけれど、これについては前回の稽古の中で、手を封印した時に、自分なりに経験したことを踏まえての表現。これについてはまだ書いていないけれど、記録しておく価値はあると思うので、そのうち書いてみよう。

しかし、前回といい今回といい、フリーダンスに特化した稽古の中での発見がとてもとても大きくて、ここに参加できて本当に良かったと思う。突破口を発見しつつあるという感じ。

というわけで、新年会でのソロダンスの発表まで、残り1ヶ月を切ってしまった。イメージだけはどんどん湧いてきたけれど、そろそろそこから削ぎ落としていかないとという段階。衣装もつけて一度動いてみようと思う。

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