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長崎外海 -九州旅行4日目

久しぶりの一人旅。昨日まで一緒に旅をしていた友人が今日は仕事のため、私の単独行動となる。そして彼女は今日の夜から実家に戻るので、家主不在の中、今夜も彼女のアパートで九州最後の夜を過ごす予定だ。

一人で行きたいところといえば長崎だろう。遠藤周作の「沈黙」の舞台となった場所を散策したいと思ったのだ。

「沈黙」に出てくる場所は長崎の中にたくさんあるが、私はその中でも外海地域(そとめ、と読む)に行って、当時の隠れキリシタンの生活を間近に知りたいと思った。

朝8:20に友人と一緒にアパートを出るはずが、支度が間に合わなかったため、友人を見送ってから、9時頃に家を出る。

博多駅に着いたら、ちょうど乗りたかった電車が出てしまい、30分以上時間があったので駅内にあるレトロなカフェに入る。明太子のパンとコーヒーを頂く。

食べ終わってもまだ少し時間があったので、携帯でバスの時間など調べていると、没頭して時間を忘れてしまい、乗りたかった電車を逃した。

仕方がないので博多駅をうろうろする。

10時になって本屋が開いたので、「沈黙」の文庫本を買う。今度こそは電車を逃さないようにホームに早めに行った。

10:55特急かもめ出発。車内で「沈黙」を読む。

電車に揺られること約2時間。長崎駅の一つ手前の浦上駅で降りる。外海地域に行く最初のバスを待つがなかなか来ない。ずっと待っていたが、知らない間に行ってしまったらしい。

それっぽい感じのバスになんとなく乗りこむ。正解だったみたい。

バスを乗りかえる為に停留所に降りる。先程、バスを逃しているため、次の乗換のバスが1時間後という不運。周りには何も無さそうな場所だった。お腹が空いたので、自販機でパンと飲み物を買う。

バスの停留所で「沈黙」を読み終わる。最後のシーンが心に刺さる感動の場面なのだが、停留所のテレビがワイドショーを流していて、なんだか涙も引っこんでしまった。

気持ちを切り替えて、バスに乗り込む。もう少しで着くと思うと、なんだか感傷的になってしまう。「沈黙」はフィクションだが、実際の歴史に基づいているため、当時迫害されていた隠れキリシタンの事を思うと、胸が詰まる。

合計1時間以上はバスに揺られただろうか。到着した時刻は15:23。家を出てから6時間以上経っていた。結局2時間しかこの辺りに滞在できない。レンタカーを借りるべきだったと心底後悔した。

しかし、後悔しても仕方がないので、気持ちを切り替えて、まずは出津文化村に行った。外海歴史民俗資料館で隠れキリシタンやこの地域の人々の暮らしについて学んだり、出津教会堂とド・ロ神父記念館を見たりした。教会堂は近くで人が作業していて、人見知りしてしまうと思ったので遠くから見ただけ。

それから遠藤周作文学館に向かう。バスが1時間に1本しか来ないため、歩く。Googleマップには徒歩25分と出ていて、楽勝だと思っていたが、あり得ないくらいの坂道というか山道が続き、到着した頃には汗ばんでいた。

到着したのは4:32。受付時間を2分過ぎていたが、一人で息を切らしながら現れた女をかわいそうに思ったのだろうか、中に入れてくれた。

とても興味深い展示だった。特に、遠藤直筆の「沈黙」の原稿を見ることができて感動した。赤ペンで推敲された跡が見られるなんて貴重である。遠藤が生涯をかけてキリスト教と日本人の溝を埋めようとした痕跡が作品から伝わってくる。

遠藤は生前、この海を見て「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という言葉を残している。その言葉を思って海を見ると、なんとも言いがたい気持ちが込み上げてくる。

美しく、それゆえに哀しい海。

辛く貧しい生活をしていた人々が、キリストの愛を知り、生きる希望を持てたこと。死ぬ時にはキリストの待つ場所に行けると信じて殉教したこと。迫害されて、捕らえられ、拷問にかけられても信仰を捨てなかった人々。

今の生ぬるい生活を変えるきっかけが欲しくて決めた長崎旅行だったけれど、美しさと哀しみと痛みと、それに寄り添う主キリストの深い愛が心に染みる旅になった。

本当は夕陽が海に沈むところを見たかったのだが、このバスを逃すと次は2時間後だったため、17:22のバスに乗って帰る。バス停でバスを待っていると、嫌な予感がして、道の駅の人に聞く。間違ったバス停にいた。危うくバスを逃すところだった。

正しいバス停からバスに乗り込み、バスの乗り継ぎにも成功し、浦上駅から特急に乗って博多駅へ。夜の9時になっていた。


とりあえずコンタクトを取るために友人のアパートへ戻る。

いい旅だった。
お腹が空いた。

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