私の中の決まりごと
と言っても、私の中の決まりごとは特にないのだけれど。
普通に、ここにこれを置く、と言ったような。そんな、当たり前のような自分の中だけの、決まりごと、がある。
そしてその中に、新たに決まりごとを加えようかと思っている。
noteを毎日更新する、こと。
日付が変わるかもしれないけど、それはそれでおっけーということにして。
この前noteを書いて、アウトプットの大切さを知ることができた。自分では全く意識していなかったけれど。それでも、アウトプットしたからこそ、自分に余白ができたようで、とても意外と効果があったような気がしている。
だから、毎日noteを書くことで意識的にアウトプットしていこうと思っている。また、何かを得られるように。
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「私は、この前今までの1年間を振り返り、決めたことは11/18を記念日にしようということ。」
去年の母との出来事を通し、私は生まれ変わったと思っている。鳥かごのような決められた空間から飛び出し、自分でものを選び取り自分の行きたいところに行くことができ、触ることができる。そんな人生を歩むことを決意した私は、生まれ変わったのだ。記念日というよりもむしろ誕生日のようである。
私はやっと一年を生きることができたんだと、感慨深く感じるほどだった。
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今の母との関係は、何もない、というのが正しいような気がする。
この前の台風がすごいとニュースになっていた時、台風気をつけてね、とLINEが来たり、私が住んでる辺りに来た時に泊めて欲しいと言われたことがあるだけの関係になっている。さすがに、泊めることもできないので、断ったけれども、そんな連絡が来たりするような仲である。
先月、弟から連絡があり、母はまた病気になり手術をするそうだ。その連絡は本人から直接は来なかったけれど、彼女も彼女で相変わらず生きているようだった。
今、1年前を振り返り、母のことをどう思うかと考えたのだけれど、やっぱり私には、母のことをどうこう思うことはできないということだ。
私が書いた、私と母の戦闘日記は、未だに私は読もうと思えない。
あの時にタイムスリップするようなことは、もうできないと思っているから。
言いたいことは全くまとまらない。だけど、母への思いはこれといって特になく、生きているならそれでいいし、死んだのなら死んだでそういう終わりだったと受け止めるだけのこと、なのだ。関わりを絶った、私にとって。
今、関わるとしたら、どうなるだろう、と考えて見る。
そうしたら、私はきっと一歩引いたような笑みを浮かべて母の話を聞くだけだろう。当たり障りのないように返事をする。
私にとって母は、他人であり、関わりたくない人だから。
私の中から、彼女の存在を徹底的に排除するのだろうと思う。
それが、どんなに冷酷だろうとも、私は、私の人生に必要ない人だと思っているから。
産んでくれた人なのに、私の人生に必要ないなんて、不思議でしかないけれど、私には、そう思わずには居れないほど、去年の出来事は大きかったように思う。
今までの母との生活で、自分の意見を言うことを諦めてしまっていたことは、私の反省すべき大きな点であるけれども、それ以外に思うことはないのだ。
私を産んでくれたのに、感謝の念もなにもかも湧いてこないこの現実に、この矛盾に違和感しか感じないけれど。これが現実なのだと垣間見ることができる。
親だから感謝しなさい。親なんだから、私の言うことを聞きなさい。
そんな言葉が世の中から消えることを願ってやまない、そんな夜。
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お読みいただきありがとうございました。
あきは
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