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「進撃の巨人」から日本社会を考える

こちらは、私が在籍しております奨学会に寄稿した文章を一部編集したものです。4月6日に書いた状況から、現在は色々と変わっているな〜と思いつつ、進撃の巨人ファンとしてやっぱりnoteに残しておこうと思いました。笑


皆様こんにちは、Anjuです。この春学期をもって、やっと大学を卒業という節目が具体的に見えてまいりました。最後の学期に向けて準備をしていた矢先、新型コロナウイルスの感染拡大、それに伴う社会の混乱…なんと私の在籍大学は春学期のすべての授業がオンラインで開講される運びとなりました。
この世の中の動向を見て、皆様は何を思われるのでしょうか。国内のテレビや新聞はもちろん、海外のメディアやSNSを通して情報を集め、日本政府や、アルバイトで生計を立てている学生として勤務先企業の動向を見てきた現在、私の中には怒りが沸々と湧いていました。しかし、折角いただいた寄稿の機会(育英会のメルマガでした)ですので、今の日本社会ととてもよく重なるな、と感じたマンガ「進撃の巨人」のストーリーを交えて心情を吐露させていただきます。約10年前に漫画として出版され社会現象にもなった「進撃の巨人」は、壁に閉ざされた世界で100年間平和に過ごしていた人々が、ある日の襲撃で巨人という存在に命が脅かされていることを思い出す…という衝撃的な展開から始まります。シンプルに新型コロナウイルスを巨人に見立てて、人類が未知のウイルスに対して如何に無力であるか、その混乱の中で人間性が試されている…と捉えることもできるでしょう。
しかし、問題の本質は「自らの頭で思考せよ」というところにあると私は考えます。

「食って寝てりゃ生きていけるよ…でもそれじゃ、まるで家畜じゃないか」

壁の中で平穏に生きていることに満足し、外の世界に疑問を持たない人々へ投げかけた主人公のこの言葉。巨人に母親を殺された主人公は「巨人を倒して壁の外にある世界で自由に生きるのだ」と誓い、仲間と戦います。壁の外は危険だと言う世論に反し、壁の外の可能性を信じ、根拠を集めながら世界の真実に近づけたのは、自分で考え行動してきた主人公たちでした。私はこの言葉に、平穏(に見える)毎日や世間一般の価値観、政府という社会的地位の上に立つ者の指示を待つのではなく、自分自身で情報を集め、自らの思考と信念に従って生きるべきなのでは、と改めて考えさせられました。
国民の命よりも経済や自身の利益を優先しているようにしか捉えられない政策、現状に即した意思決定ができない企業、自粛という自己責任論によって労働状況がさらに悪化する医療現場。何よりも、人の命に対して、誰も責任を取ることはできないことは自明です。人が死んでしまったら、もうその先は無い。それを分かっているはずなのに、ぬるい危機感とみんな言っているなら大丈夫じゃない?という中途半端な安心感。経済的弱者で一学生である私は、アルバイトの収入が減ってしまえば生活が苦しい。休業要請に従ったり、任意休職をしたり、いち早く行動ができる者が不利益を被る社会…。これは正常と言えるのでしょうか。もちろん状況は刻一刻と変化していますし、一概に政策や企業方針の正誤を語ることはできないでしょう。

それでも私は問いかけたい。

ここで今まで私が携わってきた敎育の分野に立ち返ります。まさに、知識を効率的に「与え」何が「正解」であるのかを教える教育では不十分なのです。新型コロナウイルスに限らず、多様な文化・人種・世代が交わり急速に変化していくこれからの世界を生きていく人類には、自分の頭で思考し行動できることが求められているのではないでしょうか。今感じている私の怒りは負の感情ではなく、社会を変える原動力だと信じています。


皆さんもどうか自分の頭で考えること、行動を起こす勇気を忘れないで下さい。




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