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俺にはまったく理解出来ん。

父が放った言葉だ。

私が子どもたちに会いたいと思い詰め自傷行為をやらかしたときの言葉。

私は大学4回生のときといっても、卒論も出し終え余裕で卒業が決まっており後は1年間どうするか留学や資格勉強をするか色々考えていたときに。

妻から子どもが出来たといわれ、妻は大学を辞めるといって実家から叩きだされたのを。

私と妻と私の実家地方田舎に頭を下げて戻り、私の両親の力添えを得て、子どもを産み育て、妻が単位を取りきれてなく辞めると言っていた大学も。

私がバイトをして交通費の飛行機代を稼ぎなんと私の家族の助けを借りたてなんとか大卒にした。

その間、仕事に長女のミルクやオムツがえにと必死だったのは間違いがない。

私は大学を卒業したあと、地元の企業で必死に働き、妻も長女もその後生まれた長男と次女をひとりで仕事をし生活費を入れなかった時はなかった。

妻はアルバイトを点々として正社員として働くチャンスはいくらでもあったが、

私の好きな仕事をして何が悪いと、正社員になる事はなかった。

15年、酒もタバコもギャンブルもせず子どもたちに家族に尽くした。

不貞行為やDVなんてするわけもない。余裕もなかった。

ただ仕事と家庭と色々と疲れ切っていたのだろう。

倒れた…

病気になってしまっただけ。

医師からは最低でも三か月は入院と言われた。

入院した。

入院したら妻は私と話もせずに、私の父と話をつけたと別居だと主治医の前で事後報告。

あと手当が欲しいから離婚届けを書けといわれた。

入院中の病院でだ。

そして拒否するとさっさと私を地方大学病院に放置して、東京の実家に帰っていった。

そして、なんの連絡も子どもの写真一つ送っては来なかった。

それが7か月だ。

その間、義父に子どもたちはどうかと聞いた。

義父は私の人格否定をし、いままでの私の仕事の否定をし、離婚しろと電話で迫った。

実父はお前の人間性が悪いから、能力がないからと人格否定をした。

そして、子どもたちのことを思う?

理解出来ないと言い放った。

周りは敵だらけ、誰も私の気持ちなど汲んではくれない。


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