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Swinging Chandelier-4:二本脚の蜘蛛

本作『Swinging Chandelier』は暁夜花さま『戯れシリーズ』における登場人物がクロスオーバーします。また、こちらで公開された作品は全て、事前に暁夜花さまの目を通してあることをお伝えいたします。

Swinging Chandelier-4:二本脚の蜘蛛

 失敗した、と思った時は、いつも少し遅い。
 場慣れしていないような、優しい男だった。着ているものは高級品というわけではないが、ほつれや汚れもなく、髪や指先もそれなりに手入れがされていて清潔感があった。丸首のシャツにテーラードジャケット、細身のジーンズ、ハイカットのスニーカー。お洒落だけど、尖り過ぎてはいない。埋没しようと思えば簡単に埋没できる部類。眉は目立たない程度に整えて、髭の剃り残しもない。
 部屋の鍵をかけた途端、思い切りクローゼットに押し付けられて首を絞められた。片手だったので死にはしないだろうと思ったが、かなり躯に衝撃が走ったのでこちらの動きも遅れた。男の反対の手はわたしのサテンのスカートを捲り上げて、ストッキングを引き裂きながらショーツを下ろしていた。顔を見ようとしたが男は下を向いたまま、わたしに目を合わせようとしていない。後ろめたいのだ。
 怯えた様子を見せるな。手の震えをすぐに隠せ。(怖いかって?当たり前だろこの状況は)
「待って、」
 呻くような声をなるべく女の声音に変えながら、わたしはゆっくり発音した。首以外は押さえられていなかったので、その手に、わたしの手を静かに重ねる。息が整うまで少し時間がかかった。それは男の方も同じだったようで、少ししてようやく、目を合わせてきた。
 泣きそうな顔をしている。
 しばらく手の甲を撫でてやると、男はその場で膝を折った。わたしは片脚を上げる。一度裂けたストッキングは少し力を加えるだけでびりびりに破れていった。蜘蛛の巣のようになって纏わりついているところから脚を抜ききって、親指で男の肘から肩までをなぞる。足の甲を使って男の顔をこちらに向かせながら、泣きそうな顔を眺める。と、不意に男が視線をずらす。そしてにわかに赤面した。ああそうか、その位置からだと見えるのか。鏡で見ない限り自分では見えない部分だからすっかり忘れていた。仕方がない、あんたらとは躯の構造が違う。
「ごめ、ごめんなさい」
 悪いと思うならパンツ返してくれないかな。
 部屋に入るように促してソファに男を座らせた。ベッドの前にあるテレビにはラブホ特有のポルノチャンネルが無音のまま流れていたので、スイッチを消し、サービスで置いてあったミネラルウォーターのボトルを渡す。
「大丈夫?」
 隣に腰かけた。スカートの裏地が股に密着して冷たい。
 男は一気に半分近く水を飲むと、向き直って言った。
「ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。酷いことをしたかったわけじゃないんだ。なんか、抑えきれなくなっちゃって、自分でもどうしたらいいのかわからなくて」
 男が話すには、前の彼女に振られて以来、女に欲情すると乱暴なことをしたくなったのだという。けれどなかなか女が掴まらず手持無沙汰なところにわたしが現れたらしい。夜のクラブで誰とも踊らず、二階席で天井を眺めている姿がなかなか綺麗だった、と。確かにそれはわたしも同意見だ。ビンテージショップで買った緑色のサテンのワンピースは気に入っていたし、少しタイトなシルエットになるシングルライダースを合わせるのも好きだった。
 あのとき男は少し遠い目をして、ジンジャーエールばかり飲んでいた。傷ついた少年みたいに。
「モテそうに見えたんだ」
 化粧も濃いしね、
「でもちょっと寂しそうな感じがして、目が合った時」
 生意気そうな顔をしていたでしょう、
「以外に背も少し小さくてなんか、」
 ねじ伏せてやりたいと思った、
「可愛いなって、でも部屋に入ったら、こんなこと言うのあれだけど前の彼女思い出しちゃって」
 別の女でも平気で抱けるんだ、って自分に言い聞かせるつもりが、犯したい衝動に負けた、と。ありそうといえばありそうな話。
「そっか」
 わたしは少し距離を詰め、男の背中をそっと撫でた。
「わけわかんなくなっちゃう時って、自分でも苦しいよね」
「うん」
「でもやめてって言ったらやめてくれたじゃない」
 いきなり首を絞める方が圧倒的に間違ってはいるけれども。
「友達とかで、相談できる人いる?恋愛とか」
「相談ってほど重い話できるやつはあんまりいない」
 いたら行動には移していなかっただろう。
 男は座ったまま動かないが、さっきよりはだいぶ落ち着いた様子で、打ちのめされているが、わたしが騒ぎ立てないことに安堵しているようにも見える。
「それ、」
 男が手に持ったままのショーツを、少し微笑みながら私は指さした。
「返してもらっていい?」
「え、あ」
 男は今気が付いたように慌てる。ごめん、と手渡して来るのを受け取りながら、わたしは男の頬に手を添えてキスをした。浅く、少しだけ丁寧にする。
「いいの、」
 相手の口唇の温度が上がっている。あまり学習できないタイプのようだ。わたしもまあ、他人のことを言えた口ではないが。
「大丈夫、そのかわり」
 ストッキングは弁償して、と言い終わる前に躯がソファに沈んだ。男の襟脚から香るのは淡く柑橘系の、きっとこれは、コローニュ。
 
 ああクソ。
 夜が明ける前に男を置いて部屋を抜け出した。あのあとそのままソファで一回、ベッドに移ってもう一回、どうしてもと強請られて三回目。どうしようもない頑張り屋さんだ。そしてその度に肩や肘の関節を掴まれたので躯が痛い。
 あの男、イクたびに泣いてたな。というより、最後の一回はずっと泣き声だったな。
 くだらない笑いがこみ上げる。深入りし過ぎだ。ああいう手合いを引っ掛けた時は何もしないで逃げた方が賢い。叫んで警備員を呼ぶとか。
 違う。
 帰宅して風呂に湯をためながら思う。
 膝を折った男がそのあとにどんな顔をするのか、それを眺めたかった。けれど、もし相手が両手で首を絞めて殺しにくるような男だったら、一体わたしはどうしていたのだろう。
 洗面所の鏡に、化粧を崩したわたしがいる。もう明け方だけど、シャワーを浴びずにホテルを出たので風呂にだけ入ってから眠りたかった。コットンにメイク落としを取り、アイメイクだけ先に落とす。
 ……畜生あのバカ。
 服を脱いで気付く、右の鎖骨の上に鬱血がある。普段だったら注意していられるのに。
 クソ、クソ、と呟きながら、他に痕がついていないか風呂場の大きい方の鏡で見る。大丈夫そう。この痕はすぐには消えてくれない。普通のブラウスだと心配だから、一応ハイネック着なくちゃ。
 気温が下がって、浴室は曇っている。軋む関節を熱めのお湯でほぐしながら、今日のバカはあれからどうするんだろうなと考える。またほかの女に同じようなことをするんだろうか。それでいつかは通報されたりするんだろうか。いや逆に、わたしに救われたと思って、明るくなって、あっさり新しい彼女が出来たりするんだろうか。
 どうでもいいことを考えるのは、悪くない。
 わたしの躯は、たぶん小さい。身長も、平均よりは低い。同じ夜に引き込んだ男はみんな、その小ささを好んだ。
 どうでもいいことを考えないと、正気に戻ってしまう。
 寝室にたどりついて、十二ミリのマルボロに火をつけた。遮光カーテンの隙間から朝焼けの気配がする。その光に沿うように、吐き出した煙が形を作る。二十四時間つけっぱなしにしている空気清浄機が唸る。煙を思い切り肺に入れて、十時間ぶりくらいのニコチンとタールにくらくらしながら、また吐き出す。
 もっとくだらないことで頭をいっぱいにしないと。明日なに着ようかなとか、洗濯機回さなくちゃとか、新しいリップクリーム欲しいなとか、そんなことを。
 頭ごと抱きかかえて、少しだけ呻く。それから煙草を灰皿に押し付けて、ベッドにもぐりこんだ。
 朝が、加速度的に訪れようとしている。



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