大好きだったあの人⑨
彼には離婚経験がある。
夫婦関係はお子さんが小さい頃から破綻していたと言ってた。
お子さんの為に仮面夫婦を続けていた、と。
お子さんが中学生だったか高校生だったかの時に、奥さんの不貞が露呈する。
「仮面夫婦って言ってもそこはルールがあるでしょう?
他のオトコに体を委ねるようなオンナを自分の女房に置いておくコトはできなかったんだよ」
ソレが彼が離婚した理由だった、と。
そのハナシを聞いていたアタシは
「同じ事をしてしまった」
と思う。
お客様とそういうコトをしてしまった自分は、奥様と同じだ。
彼がこのコトを知ったら、アタシも捨てられるに違いない。
そう考えてしまった。
「彼には言わないでおこう」
アタシはあの夜のコトは自分の過失で起きた事故だと思ってた。
お客様の前で自分を失うほど酔っ払った自分が悪かったのだ、
泥酔などしていなければ、アタシはうまくお客様を躱せていたはずなのだから。
それに彼はアタシが夜の仕事を続けるコトを許さないだろうとも思った。
付き合い始めてから、彼はアタシに
「お店、辞められないかな?」
と再三言っていた。
そりゃ、嫌だっただろう。
アタシの営業コンセプトは「惚れさせる」。
彼はアタシの営業手法にまんまとハマったお客様の最たるだったから。
彼は自分の恋人が、店の客からどういう目で見られているかを知ってる。
自分と同じような目で見てる。
良い気はしないはずだ。
でもアタシには仕事をしなきゃいけない事情がある。
隠してもしょうがないので、多額の借金を抱えてるからバイトしてるコトを、彼には正直に話していた。
だから「お店、辞められないよ」と。
自分の過失で起きた事故でお客様が悪いと思ってなかったアタシは、ママや友達のチーフにも話さなかった。
そうやってアタシはあの夜のコトを、アタシの胸の中にしまうコトにした。
アタシが誰にも話さずにいれば、なかったコトにできるだろう。
そう本気で思ってた。
でもソレが破滅の沼に静かに沈み始める事になる決断だとも知らずに。
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