カウンセリング日記④|私の心は、しずかに、たしかに、動いている。
皆さん、こんにちは。本日もアクセスいただき誠にありがとうございます。
先日のnoteにて、しばらく更新できていなかったカウンセリング日記を近々書くと宣言して2週間と2日が経ちました。結局期限を過ぎましたが、放置せずにちゃんと書きます。
ちなみに前回までの記事はこちらから。↓↓
※「なぜ私がカウンセリングを受けているのか」といった前提はここでは触れませんので、もし関心を持ってくださる方がいたら、下記をご参照いただけますと幸いです。
それでは早速ですが、4月と5月の2回分のカウンセリングの振り返りをしていこうと思います。(遅い、遅すぎる。)
4月のカウンセリングからは、手書きのメモを持っていくようにしました。当日の「これを話すの忘れたな〜」をなくすためと、先生のレクチャーで気づいたことをその場で書き留めておけるようにするためです。
逆にそれまでどうしていたの?という感じだと思うのですが、
そもそもカウンセリングの時間が50分から80分に伸びており、
50分のときは、向かう電車の中で話す内容を整理し、カウンセリング後の電車内でのメモでどうにか記録できていたのですが、
時間が30分増えただけで急に脳のキャパを超えてきたために、その場でメモする方針に変えたという背景です。
・・いつもの通り、どうでもよい前置きが長すぎです。笑
さて、今日は何を書いていこうかな。
カウンセリングの回数を重ねるたびに、今までのテーマに加えて色々と話題が増えていくので、どのように記録として残しておくか、少し考えてしまいますが、今日はテーマを1つに決めず、短編エッセイ集方式で書いてみることにします。
※ 途中でネガティブな表現を含んでいます。読む際には、ご留意くださいませ。
人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり
皆さんは、この言葉をご存知でしょうか。大変恥ずかしいことに、私はカウンセリングのときにこの言葉を教えてもらい、そこで初めて知りました。
簡単に今の言葉に言い換えると「自分を理解してもらえないことを悩むのではなく、自分が相手を理解できていないことを気にしなさい」という意味です。
この4月から会社員をしており、仕事自体は今もとても楽しく取り組めていて、メンターや上長はじめ、日々一緒に働いている周りの皆さんには本当に感謝しています。
しかし、会社に期待していたことと現実にギャップがあったり、自分が想定した以上に組織の代謝が早く戸惑ってしまったりということもありました。こういった自分が抱えている思いを率直に打ち明けたときに、カウンセリングの先生からこの言葉をいただきました。
自分の中に溢れてくるネガティブな感情の根本要因は、単に私が生きている時間軸が一般的な速度より速いというだけ、つまりは「焦っている」「生き急いでいる」という表現が当てはまるのかもしれません。それが日々の自分の生活にかなり大きな影響を及ぼしてしまっていました。
先生いわく、最初の1年で日々の業務を覚えて1人でこなせるようになり、3年経ってやっと組織の力学がわかるようになる、そういう時間軸の捉え方で何一つ問題ないそうです。
先生の言葉を受け、私は自分の元に入ってくる情報に対して、「これに対してはこう動かなければならない」「あれはあの人に相談して解決すべきではないか」など、頭で考えずに”反応”してしまっていた部分が多かったように思います。
私はあくまでも400人の組織の1人でしかなく、それも1年目の新入社員です。まずは、相手の立場に立って、相手の目から見える景色を想像すること、そのうえで自分の振る舞いを考えていくことから始めていきます。
言葉にするとシンプルですが、これが驚くほど難しいものです。この言葉をいただいてからもうそろそろ2ヶ月が経ちますが、全くと言っていいほど自分本位から抜け出すことができません。。
でも、ひとつ光が見えたのは、「あなたはそのまま頑張っていれば大丈夫だから。」と、先生に言っていただけたことです。お世辞を全く言わない先生(なぜかこちら側から「おいおい、そこは慰めてくれ」となるときがそれなりにある)なので、本当に自信になります。
少しでも冷静さを失いかけた時には、この言葉を思い出して、日々の積み上げを意識しながら、自分にできることに集中したいと思います。そして、まずは「相手を、会社を、理解することに徹すること」を胸に、日々の歩みを少しずつ進めていけたら、今はそんな気持ちです。
”母の日”に思うこと
5月は母の日がありました。皆さんはどのように母の日を過ごされたでしょうか。私にとっては、少し苦い思い出の日になりました。
私は今年初めて、母の日に、母に対して直接「ありがとう」が言えませんでした。当日は、自分でもなんとも言えない感情に包まれ、母の日から1ヶ月以上が経った今でも、どこか泥のような、鉛のような、重たい何かに心を覆い尽くされるような感覚が、3日に1回ほど襲ってきます(これが本当にしんどいのです。)。直接の原因はわからないのですが、自分は親に感謝することさえできないのかという、純粋な罪悪感からくるものだと理解しています。
私が、母と私の関係性を明確に意識し始めたのは昨年の11月からでした。それまでは、「母の日は、母に日々の感謝を伝える日」だということに何の違和感も持っていませんでした。でも、今年は正直、自分が生きていることにむしろ感謝してほしいとさえ思ってしまいました。この差は、私が母と自分の関係性をどう捉えていたか(いるか)の差がそのまま現れていると感じます。
冷静になって考えると、私と母の間には、血のつながり以外の関係性はないはずです。これは、大きなことでしょうか、小さなことでしょうか。。。
私と母との間に起きた色々な出来事を1つでも詳しく書こうとすると、書きながら私が体調を崩してしまいそうなほど、この2ヶ月でさえも、自分が自分を保てなくなるほどの出来事がそれなりに発生しています。
そんな中で、今私ができることは、初回のカウンセリング日記にも書いたように、母と物理的な距離を置くことだと思います。先生と話していても、これ以外の結論になることはありません。
そのためにも、やはり今は仕事に熱量を注ぎ、まずは経済的自立への道を淡々と歩むことが重要だと、そう信じています。
ここではふわっとした文章しか書けませんでしたが、本当の私の想いは、心優しい誰かに、この心のドロドロを受け止めてほしくて仕方がないということだけは、確信をもって言うことができます。
私の心は、しずかに、たしかに、動いている。
ここまで書いて思うことは、私の心が動いているということです。静かに、でも確かに、揺れ動いています。
心が動くと、たとえ家族のことではなくとも、色々なことにいつも以上に敏感になってしまいます。ちょっとした言葉で傷ついてしまったり(自ら傷つくことを選択してしまったり)、逆に自分を制御できずに誰かに迷惑をかけてしまっているかもしれない。
正直、最近は自分でも落ち着かない感覚があり、口では「楽しい」と言いながらも仕事にも多少の影響が出ていることを自覚しています。大変心苦しいことです。
でも、そういった自覚があるからこそ、休めるときはしっかり休んで、できるだけポジティブなエネルギーを日々発揮していけるように、まずは自分を律するところからスタートしていきたいと思います。
人の優しさに甘えたくなる、少し踏ん張りどきの時期ですが、そんなときこそ、このようにnoteに向かって、自分を自身で認めていけるように歩みを進めていきます。
今回の日記はこの辺りで締めさせていただきます。また、私の心の声を聞いていただけると嬉しいです。
ネガティブで率直な内容がある中、最後までお読みくださり誠にありがとうございました。
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