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みんなのところに行けるまで

慰霊碑や遺骨に手を合わせる時、いつも同じことを思う。「みんなのところに行けるまで、もう少しだけ頑張るから見ててね。もう少しだけ待っててね」

それは伝えたい言葉であると同時に、自分を支えるために言葉でもある。あの子たちに会えるように、もう少しだけ。それを笑顔で伝えられる時もあれば、泣きそうなときもある。

あとどれくらいで、会いに行けるのかな。私はあとどれくらいここにいるのかな。

生かしてもらった命を大切にしなきゃいけないのは重々承知している。それも今の私の生きる意味だ。わかっている。大切にしたいと思っている。

でも知りたいとも思ってしまう。あとどれくらい?人はわからないことを恐れる生き物だと思うけど、私は特に「終わりがわからない」ことへの不安がすごく大きい人間だと思う。

日常生活でもよくある。いつ終わるかわからない会話、いつ順番が来るのかわからない長蛇の列、いつ離れられるかわからない賑やかすぎる声。こういうのにすごく不安になってしまう。怖い。自分で終わらせてしまえればいいのだけど、そうもいかない時もある。

ああそうか、生きることも「そうもいかないこと」なのか。私には終わりまで生きる選択肢しかない。そう自分で決めたから。いつかはわからないけど、終わりまで生きるしかない。

もう少しだけ頑張って生きよう。みんなに会えるまで、もう少しだけ。いつか絶対終わるから、いつか絶対会えるから大丈夫。

もう少しだけ生きよう。

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