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巫女について

あけましておめでとうございます。
年始から悲しい出来事が多く心を痛めてます。

さて、12/31から1/3までの間、私は巫女のバイトをしていました。今日はそのときあった出来事を少し日記感覚で書いてみようと思う。

12月31日 21時00分。
私は人生初のバイト先である、地元の神社にいた。宮司さんや奥様からいろいろ説明を受けた上で早速、着付けをしていただいた。そこへ続々とやってきたのはいっしょに巫女をする仲間たち。私は人見知りなので、とりあえず笑顔で挨拶をして、何気に少し会話をした。

そして、23時00分。
ついに仕事がスタート。30分ほどすると次第に参拝者が現れ出して、私たちはリーダーの仕事を見習いながら受付をはじめた。はじめは禰宜さんに何度か怒られて凹みそうになった。しかし、お仕事はお金をいただいて自主的にやるものであるため責任がある。だから私はできる限りのことはした。3時00分を過ぎると参拝の方は訪れなくなり、落ち着いた。ただ、少し体調が悪くなってきて限界も感じていたため、控え室で5時00分ごろまで休憩をとらせてもらった。初対面と子たちと長い時間いっしょにすごしていると、緊張やストレスでよく体調を崩すのだが、たぶんそれだろう。申し訳ないと思っていたが、周りの人たちの気遣いに救われた。

翌朝、8時00分。
次第に参拝者が増え始め、ご祈祷される方の受付も多くなってきた。一晩で仕事には慣れた気がした。しかし、同じ巫女の同期は仕事があまり得意ではなさそうだった。リーダーや私が手助けをしていたが、禰宜さんに怒られてとうとう泣いてしまった。それに気付いたリーダーはその子を別室に連れて行って宥めてあげていた。

お昼頃、私たちは拝殿でご祈祷者様の受付や御守りの販売をしているとき、何度か照明が消えた。何かわからずそのまま仕事を続けていると、建物が一気に揺れ出した。緊急地震速報が鳴り響く。子供たちは泣きながら親の胸の中に飛び込んだ。私は「頭を隠してください!」と参拝者に言うことしかできなかった。2分くらい揺れが続いた後、この地震の震源は能登半島の方であるとわかった。神社のある地域は震度5弱で被害はなかったが、ふと大学の友達のことを思い出した。能登半島に実家がある子が複数人いる私は無事を祈ることしかできなかった。

いろいろあって、18時00分。
ようやく1日目のお仕事が終わった。しかしここからがまた忙しかった。お賽銭やおみくじ、干支社のお金を集め、足りなくなった御守りを補充し、お金の仕分け。それが終わりようやく帰途についた。でもまだ1日目。

2日目。8時00分。
この日の私たちの担当は社務所で御守りを販売することであった。社務所担当の責任者(バイトリーダー)に代わった。社務所は拝殿と比べて訪れる人も多く、特に御朱印を販売するのは難しかった。御朱印4種類や御守り160種類を覚えるのはひと苦労であったし、お会計に時間をかけてしまうなどの失敗もしてしまった。一方、1日目からペアである同期ともやっと普通に話せるようになってきた。とにかく忙しかったが、その子に共通の趣味があることがわかり、うれしくて仕事も捗った。あっという間に2日目の仕事が終わった。

3日目も同じ内容の仕事を済ませ、18時00分。
古い御守りやお札の回収、お供物の片付けなど忙しかったが、やるべきことはやった。もうそのころには巫女仲間たちとの仲はすっかり深まっていた。記念に集合写真を撮り、ペアの子とは連絡先を交換した。その子とは今も連絡を取っていてプライベートでも会う約束している。

そして最後、奥様からお給料をいただいた。はじめて手にしたお給料袋にとてもワクワクした。また、自分でお金を稼ぐことがどれだけ大切なことか学ぶことができた。

今回の巫女バイトは自分が大きく成長するきっかけになったと思うし、自信もついてよい経験だったと思う。これからもいろいろなことに挑戦して、さらに自信をつけていきたい。そして、経験によってつけた自信をこれから先の大学生活で実績を残すために役立てようと思う。

読んでいただきありがとうございました。

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